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正月からAIに働かされてる

最近、noteに大量のビジネス記事をアップしているけれど、そのほとんどがAI(ChatGPT)に手伝ってもらったものだ。  

僕はといえば、「こんな記事作って」と草案を渡して詳細をAIに指示する。

で、生成された文を監修する。細かなやり直しはあまりしない。こだわり過ぎると自分でやった方が早いし、なんなら、読み手にとってはAIの原文の方が読みやすい可能性だってある。

だから、読者目線に立って、5分くらいかけてちょっと編集したりコピペしたりしているだけ。

だいたいその間はゲームしたり本を読んだり、YouTubeをダラダラ眺めながら、勝手に記事が仕上がっていくのを待つ。おかげで仕事感はゼロに近い。  

もちろん大量に生成した記事は全部noteにアップしている。

Xのフォロワーが暇つぶしに読んでくれればいいかと思っている。

それにエッセイもAIにサポートしてもらって書いてるけどほぼ趣味。というのも、人は暇になると何か作りたくなるらしい。僕はエッセイを書いて、妻は愛犬のYouTubeチャンネルの動画編集で好きに時間を使ってる。

どちらもあま。お金がかからないし、ノーリスクの創作だ。

だけど、気づけば正月までせっせと記事をアップしていた。

妻に「なんか正月からパソコンいじってる」と呆れ気味に言われた。そこでふと、「あれ、もしかして僕がAIに使われてるんじゃない?」と思ったわけだ。  

実際、どんな記事を書くかの方向性を決めるのは僕だとしても、最終的に記事の体裁を整えたりアップロードしたりするのは僕。

言い換えれば、上司(AI)が作った原稿を僕がせっせと雑用する構図にも見える。

記事がどんどん生産されるほど「もうできたのか!「これもアップしないと…」と流れ作業の中の1人になったような感覚があって、ちょっとディストピア的に感じる瞬間がある。

まるで僕が手足となって働いているようで、どっちが主役なんだろうって不思議な気分だ。

とはいえ、AIの生成スピードと量は本当に魅力的だし、おかげで数十本、いや百本近い記事が並ぶ景色は圧巻。

12/14に再開したnoteは18日で97本も投稿していた。あっという間に1万ビュー。凄すぎる。

そんなこんなで、僕は「AIに稼いでもらって、人がやる部分はできるだけ外注する」という方向を、いま本気で検討している。

というのも、今年は“AIオペレーター”が出てくるらしいし、ひとり社長の僕にとっては、そこにお金を使って余計な手作業をなくすのもアリかなと思っている。

人を雇わず、AIを雇う。

なんだか奇妙だけど、一度試してみたい気持ちも大きい。  

そうなると、ますます僕は何もしなくなるかもしれない。でもそれでいいかな、と。

いまはこの大量の記事も“暇つぶしの一環”だから、ドラクエやる代わりにエッセイ書くのもあまり変わらない。

AIに主導権を握られないために、ほどほどにやりつつ、その便利さを存分に利用する。

しばらくはそんなバランスでやっていくしかなさそうだ。

やりすぎて「自分がAIの下で働いてる」って感じにならないように、たまにはスマホを置こう。

豆柴のお茶子をなでたり初詣にでも行ったりして、余裕をつくっておきたい。

ちなみにこの記事は草案を作って、AIが大枠を作り、細かいところは僕が加筆修正してる。

仕事関連のビジネス記事が5分なら、趣味のエッセイは10〜15分も使ってる。

無闇に時間が溶けていく。

けど、悪い気はしないから不思議だ。


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