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サングラスと栗と犬
自律神経失調症は本当に面倒な状態だけど、5年もこんな調子でいると不思議と慣れてしまう。
最初の頃は杖をついて歩くほどふらふらして、「これが一生続くのかよ」と絶望していたけれど、今はデフォルトで調子悪い前提で暮らしているから、そこまで暗くならない。諦観の境地というか、諦めって意外とエネルギーの節約になるのかもしれない。
もちろん、めまいが突然ひどくなったり、音が混在すると意識が朦朧として呼吸まで苦しくなったり、家の中でもサングラスが手放せなかったりと、日々の過ごしにくさはある。
でも5年も経つと、「まあこういうもんだろうな」と思えるようになるから人間って不思議だ。
それでも春と秋は比較的体調がマシになりやすい。だから今年はお蕎麦を食べに行ったり、淡路島に行ったり、仕事も絡めて名古屋まで出かけたりした。
妻はもともと旅行好きで、僕は観光がろくにできない状態だけれど、それでも彼女が喜んでくれるなら悪くない。一緒に出かけているという事実だけで、満足とはいえないものの、妻はそれなりに楽しんでくれるらしい。
まあ、僕自身は移動がつらかったりするけれど、たまには遠出して違う景色を眺めるのも嫌いじゃない。
体調が悪くなると妻がちょっと不機嫌になる日もあるし、「大丈夫?かわいそうだね」って労わってくれる日もある。
多分、見ていて疲れるんだろうなと思う。毎日同じじゃないからこそ、妻なりに気分で反応が変わるのかもしれない。こっちもわざとじゃないしどうしようもないけれど、夫婦もある意味適応し合う実験みたいなものなんだろう。
聴覚過敏は未だに厄介で、テレビとスマホ、外の工事と食器洗いなど、ふたつ以上の音が重なると頭が沸騰する。でも不思議なことに、イヤホンを付ける日が週2~3日くらいになった。
昔はもっと長く耳を塞いでいた気がするから、微妙にマシになったのかもしれない。少しずつでも改善する部分があるなら、それはそれでありがたい。
時間だけはたっぷりある。会社員の頃は忙しすぎて小説なんて読む余裕がなかったけれど、今は「傲慢と善良」みたいなベストセラー恋愛小説を楽しんだり、「人間に向いてない」「コンビニ人間」「月とコーヒー」みたいな作品を片っ端から読んでいる。
義理の姉から借りている堂場瞬一の鳴沢刑事シリーズも面白い。体調が悪くて動けなくても、小説なら読めるし、読書はお金もあまりかからないし、暇な時間を埋めてくれる。
この余裕は会社員時代にはなかったものだ。あの頃はビジネス書ばかり読んで余裕がなかったけれど、今は好きな小説に浸れる。悪いことばかりじゃない。
そして豆柴のお茶子はどんなときでもおかまいなしに「遊べ」とおもちゃを押し付けてくる。しんどいけれど、あの無邪気さはある意味救いだ。
人間相手だと「ごめん、今きついんだ」と気を遣ってしまうけれど、犬には「無理、今日はちょっとだけね」と軽く流せる。少し相手をするだけでお茶子は満足そうな顔をするし、それがこっちにも気分転換になる。適当な関係というか、こちらの不調を気にしないでいてくれる存在は有難い。
治療法が見つからなくても、AirPodsで聴覚過敏をやりすごして、ブルーライトカットのメガネで視界を和らげ、栗を食べて血糖値スパイクを避け、犬と遊ぶ。
そんな対症療法だらけの毎日だけど、工夫を重ねていけば「なんとなく過ごせる」日常にはできる。
おまけに働かずに稼ぐことに特化したおかげで、効率の良い収入の仕組みも手に入れた。皮肉な話だが、これもまた一つの適応だろう。
多分、読んでいる人にはピンと来ないかもしれない。「そんな辛いならもっと落ち込んでいいんじゃない?」と不思議に思う人もいるかもしれないけれど、長く続く不調は開き直るしかない。完治も見込めないし、大騒ぎしても疲れるだけだ。
のんびりと、読書して、犬と遊んで、妻とたまに小旅行して、イヤホンやサングラスでノイズを減らしながら、この先もやっていく。
期待しすぎないことで、心はそこそこ平和でいられるし、そうやって今日もなんとかやり過ごしている。
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