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成人式は宮本むなしで
成人式の日、僕は宮本むなしで焼き魚を食べていた。
大学生のひとり暮らしじゃ魚なんて滅多に買わないし、ご飯のおかわり自由がなんだか贅沢に思えて、わりと嬉しかった。
周囲は振袖やスーツを着ている人が多かったけど、その子たちが立ち寄るような店じゃないのか、むなし店内はやけに静かで。
今頃、各成人式場ではみんな華やかに写真とか撮ってるんだろうと思いつつ、僕はひとりで滅多に食べられない焼き魚定食を味わっていた。
同じ日、関西外大の少林寺拳法部の道場に行って、一人で型の稽古をした。
そこはフローリングが綺麗で、幅4メートルくらいの大きな鏡が貼られていたのを覚えてる。動きを確認するのにはちょうど良かったから、誰もいない静かな道場で、なんとなく自分の姿を映しながら「これが僕の成人の日かあ」とぼんやり思っていた。別に感慨はなかったけど、稽古をしている時は余計なことを考えない。自分の世界に没頭できるのがとても心地よい。
成人式の会場に実際に行ったのは、2年後のこと。
といっても参加者じゃなくて、警備員のバイトでだ。警備服を着てメガホンを手に「受付はあちらでーす」と誘導していたら、地元で固まってるらしい若者たちが楽しそうに笑い声をあげながら通りすぎていく。
皆、晴れ着やスーツで派手に盛り上がってたから、僕は「これが本来の成人式か」と眺めていた。自分は誰とも再会しないし、声かける知り合いもいない。周りはわいわいしてるのに、ぼくはひとり、制服姿で立っていた。
親には成人式に出ないことだけLINEでさらっと伝えた気がする。もともとこまめに連絡し合うタイプでもないし、中学受験や度重なる引っ越しのせいか、地元と呼べる場所がないから仕方ない。小学生の時の友だちさえ中学になったら全く連絡を取らずじまい。
ただ、孤独が嫌いなわけじゃないし、慣れていたんだと思う。もし孤独に強くなかったら、あのときの宮本むなし定食も相当苦かったはずだし、鏡の前で黙々と拳法の型を確認している自分を想像するだけで切なくなってたかもしれない。
でも、意外と平気だった。焼き魚を食べ終わって店を出て、道場で一人稽古して、それで終わり。成人式らしさはゼロだったけど、僕にとってはそれが自然な流れだったような気がする。
あとになって警備員のバイトで晴れ着の行列を見たときは、さすがに「世の中にはこういう成人式もあるんだな」とは思った。でも、その華やかさを傍観するくらいがちょうどよかった。なんとなく地元もなければ派手な同窓会もないってだけで、これまでの人生と大差ないし、無理して混ざる必要も感じなかった。
結局、僕の成人式は“宮本むなし”と“道場の鏡”と“2年後の警備バイト”でできているってわけで、それはそれで悪くない。
もし昔から仲のいい同級生がいっぱいいたら、違う景色もあったかもしれないけど、ないものはない。いまでも成人式と聞くと、あの日の独特の静けさをふと思い出すんだよね。あれが僕なりの成人式だったんだなと。
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