平日の昼間から、ホームシアターて贅沢だ
いま、僕の家には小さな“ホームシアター”がある。
といっても、天井に映すタイプの大型設備ではなく、床に置くタイプのアラジンのプロジェクターだ。誕生日に妻が買ってくれたものだけれど、正直初めは「映画を観るために数万円のプロジェクターなんてもったい」と少し罪悪感さえあった。
しかし、いざ使い始めると、わざわざプロジェクターで映像を観る行為が想像以上に楽しくて、いまではちょっとした贅沢の象徴みたいになっている。
とはいえ、僕がいまの暮らしに行き着いたのは、20代のころからの試行錯誤が背景にある。警察学校を13日で辞めて、社会に出ていろんな仕事を転々としたけれど、どこかで組織勤務が合わないと感じてしまい、何か別の道を模索してきた。
そんな中で「ネットでどうやって食べていくか」を地道に勉強し、SNSやオンライン講義、AIや外注を活用することで、一人社長としてそこそこの収入を得つつ、無理なく暮らせるようになった。
昔はそれこそ住まいも狭く、洗濯機も冷蔵庫も買わずにいたくらいだけど、いまでは家の寝室にプロジェクターを置いて、昼間から映画を楽しんだりもしている。
人によっては「なんて怠け者だ」と思うかもしれないが、体調面でたくさん働けない自分には、このペースがちょうどいい。誰にでも当てはまる暮らし方ではないとわかっているし、一生懸命働く人を否定するつもりもない。ただ、自分にはこういう選択が合っているというだけだ。
ホームシアターを使うときは寝室を真っ暗にする必要がある。夜ならともかく、昼間に観るときはシャッターを全閉にし、カーテンして、ほぼ映画館に近い暗さを作り出す。
ちょっと面倒といえば面倒だけれど、その手間こそが「わざわざ映画を観るぞ」という小さな儀式になっている気がする。さらに暗い部屋で大きめの音量に設定すると、かなりの臨場感が出てきて「よし、今から映画の世界に入るんだ」というモードが自然とスイッチオンになる。
ところが、このプロジェクターにはひとつ厄介な点がある。なぜか30分おきくらいでピントが微妙にずれるのだ。最初はキレイに映っていた字幕が、だんだんぼやけてきて「あれ、視力が落ちた?」という錯覚に陥る瞬間がある。
そのたびに自動ピント調整ボタンを押すと、またキレイに補正してくれるんだけれど、こういう手間も含めて“家で映画を観る体験”なのだと思う。もちろん、最初は「ちょっとめんどくさい」と思ったけれど、いつの間にか慣れてしまうあたりが人間の柔軟さだろう。
僕が映画を観ているときは、たいてい妻は外出していることが多い。ネイルサロンへ行ったり、ちょっとした買い物があったり。夕飯の支度など妻に頼ることも多いので、昼間の時間くらいは僕が“自分なりの過ごし方”を満喫しているというわけだ。
そして、暗い寝室でゴロンと横になっていると、飼っている豆柴のお茶子がそっと隣にきて丸くなる。夜とは違う昼間の静寂の中で、犬が気持ちよさそうに寝息を立てているのを眺めると、それだけで心がほどける気がする。
映画のジャンルとしては、新作を追うよりも、昔観たことがあるお気に入りを流すほうが多い。
理由は単純に、集中力があまり続かないからだ。体力的にも長丁場をガッツリ観るのはしんどいし、スマホが手元にあるとついつい触ってしまう。映画館だと空気的にできないことも、家なら「ちょっとSNS見ようかな」となるのが現実だ。もし新作の複雑なストーリーを追うとなると、どこかで「もういいや」と集中が途切れてしまう。
だからこそ、ジョン・ウィックみたいにアクションがメインで、ストーリーがそこまで複雑じゃない映画は、気楽に楽しめてありがたい。何度も観たことがある作品なら途中で飛ばしても苦にならないし、アクションシーンはちょっと巻き戻しても面白い。
途中で小腹が空いたり、スマホに通知が来て気を取られたりするのも、自宅鑑賞の大きな特徴だ。映画館のように「2時間はじっくり観る!」という緊張感はないけれど、そのかわりいつでも中断できて、リビングに行って何かつまんでくることもできる。
ポップコーンをあえて用意する日もあるけれど、不思議と家だとあまり手が伸びず、少し食べて忘れてしまうことも多い。映画館なら食べ尽くすのに、家だといつでも食べられると思っているせいだろうか。そういう無頓着なところも含めて、僕にはちょうどいい。完璧な映画鑑賞ではないけれど、ゆるく楽しんでいると感じられる。
寝室の扉を閉めてシャッターを下ろし、ピント調整を何度も繰り返しながら、犬を撫でたりスマホをいじったりして一人で映画を見る。
昼下がりにそんな時間を確保できるのは確かに贅沢だし、ある人から見れば「暇を持て余している奴」かもしれない。けれど、僕からすれば「体力が続かないなりに楽しいことを見つけたい」という姿勢の結果であり、何よりこの状況まで来るには運もあるけどコツコツ積み上げた結果でもある。
それを踏まえて考えれば、いまの暮らしを多少誇らしく思うこともあるし、「体調が悪くて長時間働けない」という不安を抱えつつも、こういう楽しみ方があると思うと心が軽くなる。
結局、人生のどこに力を入れるかは人それぞれだから、僕の選択が正解とも限らない。
でも、もし読んだ人が「こんなふうにゆるく映画を楽しむ暮らしもあるのか」と感じてくれたなら、それは嬉しい。贅沢と言うほど派手でもなく、けれど嫌味にならない程度に便利で快適。そのバランスが、僕のライフスタイルの“ちょうどいい”ところだと思う。
さっきみたら、ぼくが使ってるアラジンベースは販売終了になってた。
他の人もピントが合わなくて困っているようだったので、それが原因で終了したのかも。
ちなみにNetflixもボタン操作できないのですごく使いづらい。アマプラ観るならぜんぜん気にならないので、ピントぼけを修正しながらまだまだ使っていきます。
なんせ、妻からのプレゼントですから。
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