<Vol.27>誰もが国を背負った代表選手!
初めての海外旅行は22歳の時に行ったアメリカでした。
私はずっと野球をしていたこともあり、野球の仕事をしたいと思って、それなら大リーグがあるアメリカで仕事がしたいとすぐに思いました。
それが21歳くらいでしょうか。。
ちょうど、就活やなんやと周りが話し始めたので、
何か仕事をしないとなと思って考えたときに思いついたのは、
野球とラジオの仕事でした。
ラジオで言うと、何となくFMラジオを聞くのが好きで、20歳くらいから興味を持っていて六本木などへ行って音楽系のアルバイトを経験しながらその道も考えていたのですが、
野球の方が知見もあったし、アメリカへの道が野球界的に広がり始めていたので、野球だ!と思って、その道1本に絞ったのを思い出します。
ちょっと話がそれてしまったのですが、
初めてアメリカに行った場所はニューヨーク・マンハッタンでした。
住まいはブルックリンでしたが、何かするとなればいつもマンハッタンまで地下鉄に乗って行くような生活でした。
とはいっても大学生4回生の夏休み期間だけでしたので、2ヶ月ほどでしたが、その時のニューヨークの景色と鼓動が今でも忘れられません。
ニューヨークという場所では、アメリカ人とか、日本人とか、○○人とかそういったものがない世界でした。そこに歩いている人がどこの国の人なのかも全然わからないし、誰でもそこに居ていい場所で、誰でもそこで活躍することができるんじゃないかと思えた場所でした。
日本の東京でも今でこそ、そういう景色が少し広がっていますが、その当時(約20年前)は日本人がほとんどで、都会人か田舎者かの違いというくらいの事でした。
(私は愛媛県の田舎者だったので、東京ってすごい!と思ったことも思い出します。)
そのニューヨークにいるときは、自分は日本代表でこの場所に立っているんだ!という気持ちが何となくあったような気がします。僕がポジティブなことをすれば、日本人ってすごい!となるし、ネガティブなことをすれば日本人はダメだな!となる。
毎日がオリンピックのような、そんなワクワクした日々を過ごしていたことを思い出します。
※実際はアジア顔の人は全員中国人だとアメリカにいる人は思っていたような気がしますが。。
それは、それまでの中国人の先人が思い切ってアメリカで勝負(商売)するんだ!という人が他のアジア人よりたくさんいたから、アメリカでそういうアジア人ブランディングになったのでしょうから、それはそれですごいことなのだと思います。
あの恐ろしいと言われている「ブロンクス」のエリアでも普通に中華のお店があったり、中華のスーパーがあったりするのですから勇気があるもんです。
日本系のお店はそういう場所にはなかったように思いますので。
話は戻りますが、
私もアメリカにいるときは日本のユニークな事柄についてたくさん話したし、モノも持って行ったし、アメリカに住む人たちにたくさん聞かれたような気がします。私の周りにいる仲間にとっては、私の言っていることが日本なのです。別に責任を感じていたわけではないが、私が日本を代表して日本を伝えているような感覚はありました。
それが何?ってことなのですが、
「国を代表することって楽しい!」と感じました。
小さなことですがやりがいを感じました。
僕が日本を伝えるんだ!日本の良さを知ってもらうんだ!と。
私には今でもそんな思いがあります。
今、香港では政治デモを行っている国民・若者がたくさんいますね。
香港というアイデンティティを胸に戦っていると思います。
日本にはない政治への関心度の高さだと言えると思いますし、自分たちで国を作っていくんだ!という思いが生まれながらに教育に組み込まれているのだなと思います。
そういう行いが当たり前のことと思っている人も世界にはたくさんいるということです。
今、日本に居ながらに、外国人と接する機会は東京の人だけでなく、地方の人にも少なからず増えているのではないかと思います。
日本に来てくれているそんな彼ら・彼女らは、そんな国を代表した熱い思いを持って日本で頑張っている人もたくさんいるでしょう!
日本にいる日本人もその人たちにとっては、日本代表です。
あなたのその意見が日本代表の意見と思われることもあるでしょう。
またこれは日本に来てくれている外国人留学生・社会人の皆さんへのメッセージですが、
日本人にとって、みんなはそれぞれの国の代表選手です!
自分の国を良く思ってもらうも、悪く思ってもらうも、みんなの行動に掛かっていますからね!