
≪Vol.144≫それじゃあ「ふぐ」なんて一生食えない
毎度のことですが、
僕は「外国人」と毎日過ごす仕事、生活をしているのですが、
日本人同士でも対外国人でも大変は大変
習慣や文化が違うから「大変」と言う話はあるのですが、
それは確かに大変で、
僕が大変だな、と思うことはきっと相手の外国人も「日本人の考えはわからないなぁ」となっているわけです。
そんなのは、別に外国人ではなくたって、
日本人同士でもいつでも大変で、同じ感情や同じ価値観、感性の人なんていないわけですから、同じっちゃあ、同じです。
「外国人は大変」と思ってしまいがちですが、
実際は皆さんも感じている通りで、日本人同士で過ごしていたって、大変なことは山ほどあるわけです。
じゃあ、僕はなんなんだ。
というと、
僕は毎回書いている通り「人」を生業としているので、
「人」がどう社会で活躍、役に立てるようになるのか?を
考えたり、人を育てたりしています。
それが仕事だから、大変だろうが何だろうが、頑張るのですが、
誰かが「ふぐ」を食えるようにした
ココからタイトルの話になるのですが、
じゃあ、何をやっているのか?と言うと、
「人」を解剖して、イイところと、悪いところを仕分けしている。
ような仕事だと思います。
これが、なかなか手間がかかることなので、僕のような生業の人ではないと面倒でやらないとは思います。
要するに「ふぐ」を捌くような仕事だなと思っています。
きっと「ふぐ」が食べれるようになるまでに、何人も死んだのだと思います。最初の方は「この魚は食えるのか?」と思って、食べたら死んじゃった。と言う人がたくさんいて、
その後に、「あの魚を食べたら死ぬぞ!」って
なって、
でも、食べても死なずに「凄くうまい!」って言っているやつがいるぞ!
となって、
もしかしたら「食っていいところと、食っちゃいけないところがあるんじゃないか」
となって、
誰かが解剖をして、いろいろ食べて、何人か死んでしまったりして、
この白身は食えるけど、肝は食えない、とかになっていったんじゃないかと、、、
勝手に想像してしまうわけですが、
誰かがそうやってくれたからこそ、
今、「ふぐは旨い!」なんて言って食べれているのかなと思っています。
だから僕はそんなことを今やっているように思っています。
もし「外国人」=「ふぐ」だったとしたら、
何も知らないと、「あれは食べれない!」ってなってしまう。
あんなに「旨い」ところが実はいっぱいあるのに、
知らないと死んじゃうから「食えない」。
でも、普通だったら、
別に他にも食いものなんて、いっぱいあるんだから無理して「ふぐ」食わなくたっていいじゃないか。と言うのが普通だと思います。
今はなんとなく、そういうタイミングなんじゃないかと思っています。
食ってみたら「美味しい」もあったけど、「死んじゃう」みたいな経験といろいろあるんだと思います。
僕もまだまだ研究中で、終わりなき旅ではありますが、
きっと、きっと、
日本人も外国人もお互いにより良き、必要な存在になるのは間違いないので、少しずつでもトライしてもらえたらと思います。
僕も僕なりに研究発表させてもらいます。
本日も最後までありがとうございました!
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