≪Vol.176≫正解に近づいているのかわからないのは辛い
僕は1980年生まれなので「昭和」と言われる時代も少し見てきたし、今では考えられないような教育(上下関係)も経験したと思います。
特に野球部だったので体育会系のノリだし、就職先は芸能事務所だったので、体育会系のノリで、厳しい縦社会だったのかなと思います。
先輩や上司が厳しいのは別に仕方ない事、という感じだったので、
僕もそうだし、周りの人もそれが当たり前ではあったのですが、
一番辛いなぁと思ったのは、やっていることが「正解に近づいているのかわからない」ことでした。
上述もしましたが、厳しくしてもらうことで僕は結構成長したなぁと思うタイプなので、教育手法としては悪くないと思っています。
ちなみに僕は体育会系の厳しさを自分でやるのが苦手なので、やらないのですが(やれないのですが)、あのブラックな感じは人を成長させることに繋がるとは思っているタイプです。
ただ、正直あまり意味なかったなぁと思うのが
やっていることが「正解に近づいているのかわからない」という場合なのですが、
何かをやったときに、「違うよ!」と怒られたりするのですが、
何が違うのかわからなくて、また自分で考えて別のことをするのですが、
また「そうじゃないよ!」となる。
でも違う日、最初にやったことが「それそれ!」ってなったりして、結局なんだったのかわからない、ということってよくあると思います。
いろいろパターンを考える、という自身の経験にはなっているのですが、結局何だったのかわからなくて、テストで言うと「えんぴつ転がして、出た数字を解答用紙に書いて、偶然正解だったり、偶然失敗だったりしている」という感じでした。
先輩や上司の機嫌が悪い事もあるだろうし、
実はその人たちも答えを持っていなくて、何となく違うなぁと思うものは「違う」って言っているんだとは思います。
正解なんてない、または、正解なんてわからない、ことをやっていくことの方が多いわけですから、それも仕方のないことだとは自分でも思います。
今、自分がやっている事の多くのことは、それが正解かどうかなんてわかってやっているわけではありません。
ただ、「違うよ!」の一言で片づける時間というのは、あまり意味がなかったなぁと思ってはいます。
愚痴をこぼしているわけではないのですが、
今の若い人は・・・なんて日本でもよく言われる話ですが、
僕は外国人と仕事をしていて、日本人より圧倒的に「なんで」って言う質問が飛んできます。「違うよ!」だけで片づけられることがないので、とても意識していたりします。上司が勉強しなければならない部分でもあります。
日本文化の「違和感」に当たることの多くが、
必要以上の「上下関係」が起因していると僕は感じています。
上下関係は規律がある感じがして、美しさもあるのですが、ほとんどの場合、年上(目上)が勝つ仕組みになっているので、美学と実態は分けて考えないといけないのだろうと思ったりします。
これは直した方がいいなぁと思う点で言うと、
「上下関係」がある割には、「家族関係」「親子関係」がよくない感じがしています。「家族を大切にする」という感覚はもっと持てるようになってもいいなと今となっては思います。(今となって、ですが)
今週も最後までありがとうございました!
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