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2020年に観た映画(旧作) ベスト5

2020年は映画の年にすると宣言(?)してはや1年。
新型コロナの影響もあり、土日に家にいる時間が増えたりと、映画を観るまとまった時間がとりやすくなったことも追い風に、1年で

106本

観たようです。(数えてみるとそれほど多くもない、、)

そのうち映画館で観た新作は5本未満で、あとは配信で旧作を観ました。
これまで音楽ばかり聴いてきて映画リテラシーが全くなかった人間が、脈絡なく観漁った映画の中から、印象深かった作品をご紹介します。順不同。

ベルリン天使の詩(Der Himmel über Berlin)

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1987年、フランス、西ドイツ合作映画。ヴィム・ヴェンダース監督。
この作品は正確には2019年末に観たのですが、「2020年は映画の年にする!」と宣言するきっかけになった映画なので、リストに入れちゃいました(のっけから基準ガバガバ笑)。
とにかく映像もセリフも「美しい」という表現がぴったり。映画のワンシーンが、そのまま写真作品として成立しそうな画。ついつい一時停止して、心に残ったシーンを撮影してしまいました。
ストーリーは分かりやすく、主人公であるダミエルという天使が、サーカスのブランコ乗りであるマリオンという人間に想いを寄せ、人間として生きることを願い、、という話。大まかな筋は分かりやすいのですが、詩のようなセリフや、ストーリーには直接関係のない登場人物が独り言のように語る言葉など、アートな雰囲気を漂わせた作品でした。
冒頭の万年筆で詩を書くシーン、マリオンがサーカスの衣装である天使の羽根を付けて車のボンネットに座るシーンや、トレーラーハウスの中でNick Caveのレコードをかけるシーン、ダミエルが淡々と歩きながら橋を渡るところをアップから少しずつ遠ざかって撮影するシーン、元天使ピーター・フォーク(本人役)が市井の人々の間でスケッチをするシーンなどなど、陰影がはっきりしたモノクロの画面に、何度も息をのみました。

あと、これは完全に僕の考えですが、この作品は「ドイツ語」で撮影・録音することの必然性を強く感じました。作中で、天使は人間が心の中で思っていることを「ささやき声」として聴くことができる、という設定があります。そして、ドイツ語は子音を強調する言語。それにより、(人間の聴覚としては)静かなはずのベルリン国立図書館で、集まった多くの人間の「ささやき声」に天使たちが耳を傾けるシーンは、最高の音響体験になっているのです。天使たちが耳にする人間たちの心の声は、耳をくすぐるようなひそやかで神秘的な響きを持っている――おそらく、いくつも重なる「ささやき声」を音響として印象付けるために、ドイツ語である必然性があったのではないか、と思いました。
詩や、当時のベルリンの時代背景など、文化教養や背景知識が増えるたびに、深く楽しめそうな作品。定期的に見返そうと思います。
ちなみに、ヴィム・ヴェンダースは写真家としても活動していることを知り、写真集を買ったりしました。写真もめっちゃ好きだったので、ヴィム・ヴェンダースが街を見つめ(映像・静止画問わず)カメラで切り取る視点が、僕にとってはしっくりくるのだな、と。

ブギーナイツ(Boogie Nights)

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1997年、アメリカ映画。監督・脚本は、ポール・トーマス・アンダーソン。
監督自身が幼少期に過ごしたポルノ映画業界のことを、群像劇として脚本にしたため映画化したもの。
映画の背景や脚本、リファレンスなどについては町山さんが詳しく解説されています。

この映画は、単純に「あ~~、映画ってサイコー!」と思える作品(なんも説明できてない笑)。
いうならば、自分が思う「映画の魅力」がこれでもかとつまった作品でした。
まずは、カメラの動きと役者の躍動感。冒頭の長回しシーンが最高!!カメラが滑らかに視点を移動しつつ、忠実に再現された1970年代のディスコを映し出す。ここの演出は本当にすごい。このシーンだけで観る価値あります。登場人物を全員覚えていられるくらい、それぞれのキャラクターや人物像が立っていることも魅力のひとつ。
次に、音楽が良い!70年代はリアルタイムで経験していないけれど、当時の景色が目に浮かぶような、当時流行っていたイケイケのポップミュージックが大音量で楽しめます。音楽と映像のリズムが合っているところも良い!
そして、バカっぽい筋書き(雑に要約すると、デカチンの男の子がポルノ映画業界で活躍し栄華を極めるが、業界の変遷と共に立場を失っていき、、)なのですが、群像劇というストーリーをうまく活かした編集と、それによる緩急及び展開が素晴らしく、2時間超まったく退屈しない。登場人物それぞれの話が同時進行しながらも、うまく緩急をつけて配置されているからだと思います。
観終わった後、あなたも「あ~~、映画ってサイコー!」と思わず言ってしまうことを保証します。笑

ほえる犬は噛まない(플란다스의 개)

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2000年、韓国映画。ポン・ジュノ監督。
『パラサイト 半地下の家族』で全世界から注目されたポン・ジュノ。長編映画デビュー作でありながら、絶賛された『パラサイト 半地下の家族』の作風はこの時点で既に確立していたことが分かる作品。
筋書きとしては、団地で起こる犬の失踪事件を巡って、様々な人が右往左往するというもの。複数の話が連続して進みつつ、時々絡みあったり影響し合ったりという群像劇なのだが、主役っぽい人が2人が出てきます。
経理の仕事をしている冴えない若い女性(演じるのは、2005年の日本映画『リンダ リンダ リンダ』で主演をつとめたペ・ドゥナ)と、いわゆるポスドクと呼ばれるような、高学歴だが仕事に就けず、教授のポストを狙う青年。主な登場人物であるその2人の設定にも、少しほろ苦いリアリティが滲んでいます。
そしてその2人を含む登場人物たちが、それぞれの思惑を抱えながら、時々交差しまた離れてそれぞれの生活に戻る、という大まかな流れは、まさに僕らが生きる日常そのもの。たいそれた事件も起こらないし、明確な悪役も出てこないのに、ちゃんとドラマがある。
社会問題を下敷きにしつつそれをエンターテイメントにしあげる手腕や、匂い立つような生活感の演出・演技明確な悪役がおらず、かといって明確な正義も描かず、みんな憎めない登場人物たちなど、ポン・ジュノの他の作品でも感じられる魅力がたくさんつまった作品でした。
個人的には、ポスドクの青年の妻ウンシルが、妊娠したことで仕事を解雇され、雀の涙ほどしかもらえなかった退職金で犬を買ったのに、、と嘆くシーンが印象的。ひとりの生活者の目線から、社会問題への視点を描く。好きなシーンです。あと、切り干し大根のくだりも好きでした。ユーモアがちゃんとあるのも魅力のひとつ。
『パラサイト 半地下の家族』をまだ観ていない方は、そちらとあわせてぜひ。

ノスタルジア(Ностальгия)

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1983年、イタリア・ソ連合作映画。アンドレイ・タルコフスキー監督。
まず、今年映画を観漁ったことによって、色んなタイプの映画があることを知りました。どんでん返しの筋書きを楽しむストーリー重視のもの。このシーン!というような印象的な画があるもの。詩のように脈絡のない話やものごとが突然差し込まれたりするもの。映像の色づかいや衣装の精巧さなどを愛でるもの。
例えば言語表現にも、小説、詩、戯曲、エッセイ、など色んなジャンルや楽しみ方が存在するように、映画にも様々な味わいや楽しみ方があることに気づいたのです(おおげさに言うことでもない笑)。

そしてこの作品、もっと言うとタルコフスキー監督の作品は、言語表現でいうならば「詩」のような映画
眠くなるほどゆっくりとした動きのカメラ、展開があるのかよくわかないストーリー、表情豊かとは言い難い役者の表情。並べると難解っぽさを際立たせるような評価ばかりですが、不思議と「難しさ」を越えて印象に残るものがありました。
タルコフスキーはこの他に2作品(1972年『惑星ソラリス』、1986年『サクリファイス』)観たのですが、共通して「水の音」が出てくる。それは、川であったり雨であったりするのだが、どうしてかこの音がすごく印象的に響く。調べてみると、『ノスタルジア』のあるシーンでは、音の配置の仕方が特殊のようです(日本の現代音楽作曲家、武満徹がタルコフスキーの死に際してインタビューに答えた記事より)。
決して大きい音ではないのに、どこか荘厳に響く水の音。映画を観て水の音を記憶する、というのも変な話ですが、僕にとってはそういう少し脈絡のない、心への引っかかり方をする作品でした。

あと、強く印象に残ったのが、ラストで主人公であるアンドレイが、ドメニコに託された祈りの儀式「ろうそくの火を保ったまま、広場の温泉をわたりきる」をやり遂げるシーン。何度か失敗しながら、長まわしでその一部始終を映すのですが、その映像の説得力というのか、切迫感がものすごい。ろうそくを持って歩くだけの静かな演技なのに、なにか本当に祈りめいた、切なる願いのようなものを映像から感じて、しんとした静かな感動とともに脳裏に焼き付いています。

キリスト教・聖書とクラシック音楽への造詣が深くなるほど、映画のモチーフや、映像の中の演出がより理解できそう。西欧文化に触れると、やはり一度は聖書を読んでおいた方が良いのだろうなぁと思ったりします。

寝ても覚めても

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2018年、日本・フランス合作映画。原作は柴崎友香の小説、監督は濱口竜介。
京都に住んでいたころ、近くの映画館で濱口監督特集上映があり、フライヤーをみかけたものの都合があわず、映画自体はひとつも観ないまま、ぼんやり監督の名前だけを記憶していて。そして2020年、配信で映画を観ようと思った時にふと名前を思い出し、観てみたのがこの作品。
この映画は、「良かった」とか「心温まった」という感想ではなく、自分の中では「不気味さ」「怖さ」というキーワードで印象に残りました。
主人公である朝子が、全く同じ顔をした二人の男(どちらの役も演じるのは東出昌大)の間で揺れる、というのが大まかな筋書きなのですが、ラスト近くの朝子の行動に本当に驚かされるというか、ギョッとしてしまうのです。

ネタばれになってしまいますが(知りたくない方は読み飛ばしてください!)、朝子は時間をかけて関係性を築いてきた恋人である亮平の目の前で、昔好きだったものの行方をくらましていた麦からの呼びかけに応えてしまう。このシーンがとにかくゾッとします。女心が分からない、とかいうレベルではない。「なんで!?どうして!?」と思わずつぶやいてしまうほど、不可解で理不尽な朝子の行動。
他者とはどこまでいっても理解できない他者である、ということを否応なく突きつけられる、ざわざわした感触がべっとりと脳にはりつくシーンでした。そんな不穏さを演出するtofubeatsの劇伴もハマりすぎていて怖い。
そして、裏切った朝子が帰り、反発する亮平とやりとりするラストシーンが印象深い。亮平は「俺はきっと一生、おまえのこと信じへんで」と言いながらも、朝子を家に迎えます。
そしてカメラは川を映す。雨が降って、水かさが増して、濁った川。流れは途絶えることなく、ごうごうと音を立ててつづく。ふたりの愛を川に表象させたラストシーンは、間違いなくこの作品のハイライトでしょう。

人間にとっての「顔」とは、他者の他者性、自分自身の分からなさ(実は朝子自身がもっとも自分の行動に驚いたのでは)、裏切った人をそれでも受け入れることとは、恋とは、愛とは、、と、観終わった後思わず語り合いたくなる、そんな作品。

濱口監督の作品はこれしか観れていない(他は配信にない、、)ので、5時間超(!)ながら国内外で話題になっている『ハッピーアワー』とか観たいですね。


おわりに


僕の中でそれぞれ違う魅力を持つ作品を5つ挙げてみました。
どこかに出かけたりすることが難しい時期ですが、映画や音楽を自宅でじっくり楽しむのも悪くない、そんなことを感じた1年でした。

せっかくなので、みんなで映画を観たり、語り合ったり、おすすめしあったりするサークル活動のようなものを、住んでいる南相馬市小高区ではじめます。気になる方はこちらのFacebookグループに参加してみてください!

では、みなさま良き映画ライフを!

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