
無駄な努力に対する考え方
お疲れ様です.鈴木です.今日は,遅番なので朝はゆっくりとコーヒーを飲みながら勉強していました.栄養学や人体の機能について,まだまだ知らないことが多くあるなと,またもや「学習性無力感」に襲われています.ですが,めげずに勉強し続けます.勉強した内容をスライドにまとめて発表できる機会があれば,一番脳内に入るので,是非誰か依頼してください.位置発表で500円くらいでやります.相場は分かりませんが,他者への貢献と金銭的利益が出るのであれば,サステナブルにできます.無償の愛を注ぐには,やはり鈴木との関係が密な方だけになります.一人では世界を救えません.さて,今日のお題は,「無駄な努力」についてです.スポーツ競技における練習もビジネスも効率よく,可能な限りの無駄をしないで,最短距離で目標を達成したいですよね.誰しもが思う,この考えを今日は鈴木なりに深考してみました.
では,まず始めに「無駄」という言葉を定義しましょう.goo国語辞書では,以下のように定義されいます.
役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。
この定義に従って「無駄な努力」という言葉を定義すると,「役に立たないことに努力する様.努力した甲斐がなかったこと.無利益な努力」という感じになるでしょう.鈴木は,スポーツ関係のコーチですから,この記事でもスポーツ場面に置き換えて,話を進めていきます.鈴木はこの記事における「無駄な努力」には2種類の「無駄な努力」があると考えています.それは,「ネガティブ無駄な努力」と「ポジティブ無駄な努力」です.次項では,各「無駄な努力」について考えていきましょう.
第一に,「ネガティブ無駄な努力」とは,明らかに非効率であり,失敗の可能性が極めて高いことへの努力です.その指針になるのが,スポーツ現場ではエビデンス(科学的根拠)であると考えます.既に調査され,大方のコンセンサスを得られており,科学により一般化されたことの逆方向にすずむことは,誰がどうみても非効率です.例えば,エスコバールら(2016)のレビューでは,プロテインの摂取と糖質の摂取を同時に行うことによる,タンパク質合成率にポジティブな影響は,きちんとタンパク質量が担保されていれば,別に必要がないということを報告しています.糖質の摂取により,インスリンを活性化し,アミノ酸の吸収率をよくしたり,成長ホルモンを刺激してタンパク質合成率を高め高めることできるという理論を覆しました.しかし,リカバリーに対する効果はまた別問題であり,そこは深く調べていませんが,高強度の練習後の糖質摂取は良い影響を及ぼすでしょう.つまり,「筋肉を増やすためには,糖質はそこまで影響しないけど,トレーニング後に体いち早く回復されるには必要だ」ということです.ここまで,わかっているのに,筋肉大きくするためには,糖質なんだと信じ込み,トレーニング後に大量の米を食わせたりしているのを見たことがありませんか.これは無駄な努力です.これが,リカバリーを狙っているのであれば,分からなくはないですが,人間は一回の食事でプラスの効果を生み出せるほど,都合よくできていません.以上のことから,この記事における「ネガティヴ無駄な努力」とは,ある程度のエビデンスレベルの高い研究によりわかっている事に対して逆走するような努力のことを指します.
次に「ポジティブ無駄な努力」についてですが,これは簡単で科学てわかっていないけど,自分なりに考えた故に行っている努力のことです.数年前に,イチロー選手が前侍ジャパン監督の稲葉さんにインタビューしている動画で,「回り道が結局近道になっていたことは,結構ある」と言ったニュアンスのことを仰っていました.これには,とても共感した方も多かったと思います.見たことない方はYouTubeで調べてみてください.科学的にわかっていないことは,自分の経験と蓄えてきた知識を駆使して,仮説を立てて,その仮説(目標)に対して努力することは,何をしても成功します.もちろん,パフォーマンスが変わらないことや落ちることもあるでしょうが,思考に重ねて自分なりに出した理論を試してダメであれば,それはまた1つの成果です.次はそれをしないようにすればいいだけなのですから.エビデンスも絶対ではないので,分からないことの方が多いので,スポーツ現場では,この「ポジティブ無駄な努力」できる力,すなわち高い思考力と勉強量と熱量が重要になってくると思います.指導者,特に育成年代の指導者であれば,いずれ選手は自分の手元を離れていくので,ここを伸ばしてあげることが最も大切であるのかも知れません.
本記事では「無駄な努力」について考えてきましたが,結局のところ,本当の意味の無駄な努力なるかどうかは,その人の勉強量次第なのかも知れません.