エビデンスに踊らされないように
お疲れ様です.鈴木です.とりあえず,文章を書いてみることから継続力の修行として実施しております.たまに,ロジカルなタメになる系の記事も書きますが,あれは結構労力がかかるので,まとまった時間がないと欠けないので,時間がない時はこの記事のように,最近鈴木が思っていることや感じていることを自然体で描いていこうと思います.あくまで日記みたいな者なので,そこはご了承ください.
早速本題に入りたいと思いますが,最近よく聞く科学的根拠,エビデンスというキラーワードについてです.もはや,必殺技かよと思うくらい頻繁に使っています.鈴木は大学院を出て早2年くらいになりましたが,論文を読むというのは技術が必要です.一般の人向けに作成された本とは別に,その分野の人が読む前提で書かれているので,国内論文ならまだしも,英字論文を一般の人が読むのは非常に難しいと思います.というより,読めるけど,理解しきれないという現象に陥ると思います.また,その論文で得られた結果を素人が判断すると,謝った解釈にすらなります.トップ研究者ですら,長い時間をかけて解釈して書き上げたものを素人が簡単に理解できるとは思えせん.鈴木も日々の練習で少しずつ何がこの論文で言いたいのか,結果の解釈の仕方などを理解し始めましたが,まだ不十分です.何が言いたいかというと,「科学的に正しい」とかという言葉を当てにしないでくださいということです.これは持論ですが,優秀な研究であれば,物事は断言しません.おそらく,「〇〇な可能性は高い」というくらいのニュアンスに留めることが多いように感じます.なぜならば,いくら大規模な集団を対象としても,そこには自分も,あなたの友達も,教えているクライアントもいないからです.本当にその論文と同じ現象が100%,対象にも起きるかどうかは処方して見ないと分かりません.また,論文はあらかじめ仮説を立てて,それを立証するというのが基礎的なフレームワークです.そもそも,仕組まれたシステムの中で行われているのです,つまり,うまく結果を出そうとできるし,うまく自分の言いたいことにまとめる技術というのが存在するのです.所詮,論文で得られたデータも人間が測定し,人間が解釈して,それを考察しています.本当にそれがそうなのかは,神のみぞ知るということです.
それでも,論文のデータを活用して指導を鈴木はします.所謂,EBP(エビデンス・ベースド.プラクティス)を採用しています.なぜかというと,鈴木個人のこれまでの経験や直感よりは,数十人を集めてでた結果の方が再現性があるだろうという仮説があるからです.ですが,その経験や直感を捨てることはありません.むしろ,捨ててはダメです.指導者の世界では,「一流選手,一流指導者にあらず」という定説をよく耳にしますが,これは所詮スーパースター1名の経験則にしかすぎず・・・というニュアンスが含まれています.でも,先述したように論文も絶対解ではありません.つまり,両方とも完全な情報ではないというとこです.なので,鈴木はデータベースのエビデンス(論文など)と経験ベースのエビデンスを分けて捉えています.だって,大学野球選手10名のデータも大切だけど,イチローのバッティングに関する持論もスーパー大切だし,参考にしたくありませんか?何事も極端にならず,得られた情報は1つの石として眺めて,深考することが大切です.