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生活の中の透明な鉱物への憧れ

昔からガラスという素材がずっと大好きだ。大好きというよりも、憧れがある。いとも簡単に割れてしまうかと思えばグラグラ煮ても大丈夫な強さもあり、氷の似合う冷たい見た目をしているのに炎を潜って生まれてくる。どこまでも見通せるくらい透明なのに、劇薬を閉じ込めてひっそりと保存することだって出来る。相反する魅力をいくつも兼ね備えているところも好きなのかもしれない。

いろいろなガラスの中でも、家の中にある透明なガラスが特に好きだ。例えば、我が家のリビングには蠣崎マコトさんの手掛けられたペンダントライトが春と夏の間取り付けられており、私はその風景が好きで好きで仕方ない。どこまで透明なんだろう、とうっとり見つめてしまう。

https://instagram.com/kakizakiglass?igshid=YmMyMTA2M2Y=

そのほか、柳宗理さんデザインの清酒グラスもたいへん愛しい。つるん、という音が聞こえてきそうなフォルムで、唇に触れると日本酒との境界が溶けたみたいに馴染みが良い。薄さと厚さのバランスが素晴らしく、計算ずくの冷たい美をお供に酔える。

日常生活の一部としてのガラスも愛している。イワキのパックアンドレンジという名品をご存知だろうか。丸い角が洗いやすく耐衝撃的な心強さもあり、耐熱なのでレンジもオーブンもいけちゃう。なのに透明で食材の様子がクリアに把握でき、とても使っていて清々しいのだ。毎日のように使って、毎日のようにイイね…と思っている。

他にも、花瓶や蚤の市で買ったランプ、保存容器など、我が家には一目惚れの果てにお迎えしたガラスたちがとてもたくさんいる。やや重くて脆いがしかし、大層豊かな気持ちになる。そのどれもに日々うっとりと癒され、ガラスという素材の美しさに気付かされている。

ある日の我が家

原体験はおそらく、窓から大きな月を見た子供の頃の夜かもしれない。
実家では窓際にベッドがあり、夏場はシャッターを閉めるとあまりに暑い。そのためカーテンだけ掛けていたので、ベッドに寝ながら夜空を見ることができるのが夏の夜の楽しみだった。

窓越しに月を見ると、生ぬるい夜風も冷たい秋風の気配も感じない。あぁ、何にも脅かされない静かな水の中から水面越しに月に気づいた魚の見る景色は、きっとこうだろうと思った。その時、ガラスってすごいな、素敵だな、と思った記憶がある。だって私を気分だけでも魚にしてくれたのは、透明の窓ガラスなのだから。

もちろん透明以外の魅力も愛するが故にガラスに憧れているし、同じく透明なプラスチックやビニールも便利に使う。けれどやはり、ガラスが好きなのだ。敬愛する友人がかつて言った、「ガラスに水を注ぐというのは鉱物に液体を注ぐということで、大変贅沢である」という趣旨の言葉を忘れられない。今日も私は透明な鉱物で米を保管し、花を活け、喉を潤し、香水をひと吹きし、明かりを灯し、晩ごはんを温め、お酒を嗜み、越しの月を眺める。

文字に起こすと何と多様なことか。
ガラスというものは不思議で愛おしい。存在すら透明で、大気のように私を取り巻いている。

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