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主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら①

扶養に入っている個人事業主なので、
毎年この時期、旦那さん(の会社)に
今年の(予想)年収を報告しないといけません。

この儀式、旦那さんにとっては、

「明日、家に荷物届くらしい(からお願い)」
「今日飲み会になった(のでよろしく)」
くらいのテンションで

「おつかれさま、今年の予測年収教えて」

なのですが、
私と同じように扶養に入って仕事をしている方なら
分かると思うのですが、

言葉にするのは難しい。
だけど、確実に自分の気持ちがザラつく儀式です。

主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら

「主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら」

はずいぶんと前に読み終えていたのですが、

1章1章ごとに内容が濃いのと、
章ごとに内容が深まっていく構造なので、

どうやってまとめようかなー
と考えているうちに
期限(図書館の)が来てしまい、

今やっと「書かねば!」という気持ちになったのですが
(結局この本を購入したので、その後でもよかったんだけど)

年収報告の儀式のタイミングで書く
というこのタイミングに、
「今書くべき」縁も感じます。

章ごとに共感する場面、
迷う(悩み沈黙する)場面、
いろいろなので、この本は分けてまとめます。

言語化能力が高く、冷静

著者の言語化能力が高くて、
自分が日々思っていたことを

「聞いてたの?」しかも
「その時の気持ちを分析してくれたの?」
と感じるくらい共感させられる言葉でいっぱいです。

とはいえ、よくある
慰めもので終わったり
行き過ぎた主張を掲げて声高に!
というものではなく、

さまざまな主張の本(内外の15冊)を読み
実生活で感じていることやエピソードを通じて
考えを深め、進めていくという構成です。

同じテーマで、もっと簡潔に
もっと主張を強めて(声高なフェミニストのように)
書くこともできた内容のはずなのに、

あえてこの書き方を選んで、

自分が本当に伝えたい人に対して、
「一緒に考えませんか?」と
優しく語りかけることを選んだんだろうなあ
というのが今の読後感です。

ちなみに日本より家父長制の強いと言われている
韓国でのエピソードですが、
途中でてくる宗教の話と弔事の話
あと、会話の口調が強い(日本人はオブラートに包む以外は、
ほとんど「日本の主婦と状況は変わらない」気がしました。

私の解説も、私のエピソードとともに進んでいくので
話の本筋がわかりにくい…
話がそれる…と感じる方は先にこの本を読んでくださいね。

「母親は家に!」という歌

今になって思えば、それは「母親は家に!」という歌の2番だった。
この歌に合わせて家に入った母親には、
「家で遊んでるんだね!」という2番が待っていたのだ。

主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら

私自身は母親になる前に正社員を辞めた(旦那の転勤)ので、
「母親は家に!」という歌を
聞くことなく家に入りましたが、

子どもを見ながら働く女性を受け入れる
態勢が整わない状態を綱渡りのように
必死に食らいつく(か諦めていく)

先輩たちの現状を間近で見て、
(旦那の転勤がなくても)
自分もいずれそうなる
という覚悟はありました。

3人の女性の悲哀

女性が一般職と総合職に分けられて
初任給から数万円の賃金差があった会社で。

総合職採用とはいえ、入社前から、
「子どもを産んだ後も続けられる(環境)かは未知数」と頭では分かってはいました。

入社9年目の一般職の先輩で
私が入社2年目に同じ部署になってすぐ
3人目のお子さんの産休に入られたのですが、
一か月で戻ってこられました。

「経験上、1年休んだら、自分の居場所がなくなる」から、と。

自分に厳しいその先輩は、
同じ仕事をしているのに「総合職」として、
時短する必要もなく(こどもがいないので)
仕事に打ち込める環境の私にも厳しかったです。

私のせいでも、彼女のせいでもないですが、
職場に保育園から電話が入るたび、

「(3人目なんて)産むつもりなかったのに…」という先輩のことばに

女性に生まれた人にしか分からない、
深くて暗い闇を感じました。

その部署とは別で、
私が最初に配属された部署の先輩は、
本部の総合職で役職もあり、
頭も切れる方で

「こういう方を出世させていきたいと
会社も考えているんだなあ…」とか
勝手に思っていたので

「妊活に専念するから、辞めることにしたの」

と給湯室でこっそり教えられた時には
衝撃を受けました。
「そんな、ばかな!!!」と。

(その後私も妊活に専念するときがくるとは
この時は全く思いもしませんでしたが。)

その後、私がいた部署の独身の先輩が、
ボソッと、

「いい人から、やめていっちゃうんだよね…それなのに…」

と話されていたのも、
若かった私には痛烈な経験でした。

誰も得しないシステムなのに、
なぜ誰も変えようとしないんだろう?と。

「母親は家に!」という歌の3番目

運命の3番は、それから数か月後にやってきた。
すさまじい敵対心とともに飛んできて私の胸に突き刺さった言葉、
「夫が稼いできてくれるお金で楽に暮らしているじゃないの!」という言葉

主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら

私の母も、出産して1か月で復帰(2人目3人目とも)し、
仕事に家事、育児(3人!)、自分の勉強(ロシア語)を続けていた
スーパーウーマンでした。(しかも旦那は超ワンマン社長)

なのでよく
「専業主婦の人って、毎日何してるんだろう?」

と悪気もなく、公共の場でよく言っていました。

私の伯母(母の姉)もその頃は専業主婦だったので
母はよく「そんなこともできないの?」とか、
「おばちゃんは、のんびりしてるから…」と平気で言ってました。

でも、私は小学生まで長期休みは母の実家に
ずっとお世話になってたので、

その間、近所だった伯母の家に行くことも多く、

家事のアレコレを教えてもらったり、
おばあちゃん(実母)の病院のこと、

自分の子どもだけでなく
私や私以外の姪っ子甥っ子のお世話、

母の実家の事業(母の弟が会社をやっている)
の手伝いも彼女の仕事だった

のをよく見ていたので、
なんで伯母は、「母に言い返さないんだろう?」
なぜ私は、伯母をかばうために「何か言えないんだろう?」
とも幼いながら、疑問を抱いていた気がします。

求人サイトにアクセスする病気

この日以降、私の病気が始まった。
ことあるごとに携帯電話で求人サイトにアクセスする病気。

正確には、求職というより、ただ検索しただけと言わねばなるまい。

2人の子どもを抱えた身分で、
朝早くに出かけて夕方に帰ってくる会社員生活は
そもそも可能でなかったので、
検索に2時間くらい費やすことで、込み上げる怒りをなだめた。

主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら

自宅保育の時間が長いと定期的に、あちらこちらから
「〇〇すべき」という声がかかります。

声がうるさい、静かにしろ!
家でドンドンするな!
などの「近所迷惑」関連と

あなたの育て方が…
子どもから目を離すな!危険だろ!
〇〇が足りてないんじゃない?
もっとこうしたら…
系の「忠告」関連。

あとは…
〇〇さんのこれってどう思う?
〇〇さんって、△△すべきよねー
的な「人をはかる」関連。

どれも本当に心がざらつくんですが、
この気持ちを分解してみると、

結局、
自分の社会的地位が低い(と見なされる)
ことが発端で生じていることであり、

相手が「男」だったら…
「社会的地位の高い人」なら…
「揺るがない権威をもつ人」だったら…

あの人、わたしに
絶対そんな風に言わないんだろうし、
私そんな風に聞くこともないんだろう。

その悔しさや悲しさ、
不甲斐なさ、不公平感を
手っ取り早く解消してくれるのが

著者の選んだ「求人サイトの検索」。
私も同じ病気にすぐかかるのでよくやりますが、

『この程度の資格や能力、経験なら
私にも充分ある。(時間さえ、環境さえあえば)
すぐに採用されて、活躍できるはず…』

と妄想することで
自分の中でだけでも、
自分の地位を回復することができます。

自分の社会的地位が低いことでおこる感情

この立場になったのは
私のせいじゃないという悔しさ

これからも変わらないという悲しさ
あと、子どもに対して不甲斐ないという申し訳なさ

なぜ私ばかり、こんな目に…
ゲームばっかりさせてたら…
もっと子どもがおとなしかったら…
という不公平感。

あと自分の意思に反して、こどもに
「〇〇しないようにしようね」
と言わないといけないという屈辱感も。

結局のところ
今自分(と子ども)に向けられるネガティブな態度は

自分の社会的地位の低さが原因で、
(相手は自分にはそれがある(かそう思い込んでる))

自分自身もそれをかばう思想や概念、
加えてそれを主張する言葉も持っていない。
(防御力が0)

なので、自分の中だけで納めて
何もなかったように振る舞わなければならないことや

同じような立場の人と慰め合うしかできない
行き場のない思いと

「また、同じように責められるかもしれない」
という恐れと

自分の意思とは違う行動をせざるを得ない
という敗北感を抱きながら
毎日を過ごすことになり、

自意識(自分の中の自分)の地位まで
どんどん低くなっていき、
それを敏感に感じ取る「他者」からの攻撃を
より食らいやすくなる、という負の連鎖を生んでいると思います。


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