
推し疲れー鍋に投げ込まれた氷
ちょうど1ヶ月前くらいにこんな記事が「推し」を持つ人の間で話題になった。
コロナ2年目でもう限界… 情熱が薄れ“推し疲れ”するファンたちの声
私の周りでもいろいろな反応があった。
「そんな2年で情熱が薄れるなんて愛情が足りない」なんて言う人もいました。
でも…ちがうよね。
別に愛情の寡多で情熱が薄れるものじゃない。
***
以前から「推し」への愛情を「鍋を煮込む」ことに喩えて話してたりする。
推しの出演やライブ情報・かっこいい写真…それを「供給」と呼ぶんですが
供給があるとガスコンロのガスがいっぱいになって「強火」の状態になる。
そうすると鍋がぐつぐつと煮えたぎるんですよね。
でも煮えたぎりすぎると中の具材が焦げてしまったり…そこをライブや出演をみて新しい水分や食材を足してずっと煮込んで秘伝のスープにしていく。
ガスの供給は別に推しからなんの情報もなくても
二次創作をしたり、推しの曲をカバーしたり、機材を調べたり推しの好きなお菓子を買ったり…いろんな方法で自分でガスを作れる人もいる。
だからそうやって「自家発電」で365日強火で鍋を煮ているようなオタクを「強火オタク」とか呼んでいたりした。
新型コロナウイルスの蔓延による「イベントの自粛要請」というのは
そんな鍋に大きな氷を投げ込まれたような、そういう体験だと思う。
今まで煮込んできた具材は冷え切り、味も損なわれて、ガスの供給もストップされてしまった。
もう鍋は、その中にあった「秘伝のスープ」は元に戻るだろうか。
***
私の場合はライブ。
年間100本くらい行くことをもう15年くらい続けていた。3日に1回。
それが去年は2月14日を最後にして、7月までなかった。(7月行ったのはこれ)
「配信」があるからいいじゃないか、という。
でもテレビで見る美味しいお店がそれだけで満足しないのと同じように「体感」のない配信ライブはただの「情報」になってしまっているように感じていた。
もちろん普段ライブに行かない人が見る機会ができたとか
種々の行けない理由がある人たちがライブを見る機会に喜んでいることは否定しない。
でもね、ステージの人が自分たちの反応を感じてその場でしか生まれないもの、って絶対にあるんだと思う。
あんなに「相補性のある世界」でそれが瞬時に表現されることなんてない。
お客さんがいてくれるお陰で出てくる言葉とか演奏とかニュアンスとか絶対あって、それはその瞬間のアートなんですね。
拙記事「愛でロックを変えたい」―THE KEBABSに会ってきた!より
私の好きなアーティストは毎回ライブのたびに出てくるとフロアを見渡して、よく来る人を見つけてはうなずく…って行動を「出席確認」って呼ばれていた。
その「肉体として在る」ってすごく大事だったと思う。
だからやっぱり配信では補えないものがたくさんあるんだって思う。
少なくとも鍋を煮込む火力には、私にとってはならなかった。
***
人から見たら、私はここ最近でもライブに(こっそり)行ってるし「推し疲れ」とは無縁に思われるかもしれない。
でも自分の心情としてはまったく違う。
確かに、行けるライブは行くと思っている人とバンドが1つずつある。
でも、もともと私のスタイルはそうではなかったはずなんだ。
今でも行ってる2つは元から「強火」に分類されるような鍋だったかもしれない。
でも、もっと多彩で多くの鍋を私は持っていたはずだった。
それはいろんな温度で楽しんで、低温調理してたり、時々火を入れるものだったり、冷ましたり温めたり繰り返したり…
年間100本ライブに行くといっても同じ人だけで埋まっていたわけではない。
一番多いアーティストでも20本前後が関の山だ。
そうなると半分以上はその「多彩」なアーティストを少しずつ楽しんでいたはずなんだよ。
実は昨日そのうちの1バンドのライブがあった。
なんとなく疲れてしまったように感じて、まったく行く気がおきなかった。
推し疲れ
そのキーワードが私の中で浮かんできたんです。
***
強火の鍋に火を入れ続けたいがために、ほかの多彩な鍋をぜんぶ放り投げた…
そんな感覚がありました。
ううん。
本当は自分で火を入れ続けられたのはたった一人に対してだけ。
もう1つのバンドに私がまだ熱があるのは
細やかに、けれどもしっかりと「供給」が続いていたからで
供給を受けられる準備(ファンクラブ入会とか)が私にあったから。
結局、氷が投げ込まれて、さらに供給も切れたり足りなくなっていって
たくさんの鍋がダメになっていっている。
愛情が足りない?
確かに他のガスをぜんぶ集めてでも火を守ろうとしているひとつは愛情かもね。
でも。
ほとんどの仕事がキャンセルになったり、母親が入院・手術したり
自分の食うに困ったり大事な人の生死に不安を感じる中で保つ方が難しい。
「愛情が足りない」で済ませてしまうの?そんなのただの生存者バイアスでしょ。
足りないのは愛情じゃないんだと思う。
推し疲れって生きるエネルギーの枯渇なんだと思う。
それはメンタルだけではなく、経済状況や身体的病気という意味も含めて。
私は経済的な部分も大きいけれど
確かに着実に「生きるエネルギー」が枯渇していっている。
いいなと思ったら応援しよう!
