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「闘病」ということば
こんばんは。イラストを描く人つかはらです。
ずっと考えてしまっていたことをつらつらと書きたいと思います。
こちらの記事を読んで「闘病」ってなんだろうと改めて考えてしまいました。
内容気になったら買ってみてください。
闘病といえば「治るために病気と闘う」というイメージが一般的ですが
病気になってみると「病気と闘う」ということよりも
他に「闘う」場面が多いようにも思っています。
私には持病がありますが、今は「寛解」という状態です。
「寛解」というのは、医療などの効果によって病気が辛くない程度にはコントロールができているということ。
何らかの原因でコントロールが効かなくなった時には病気は戻ってきます。
そして私の場合、ほぼ「完治」ということはないそうで「寛解」をいかに保っていけるかが、病状のポイントとなるわけです。
実際、症状が強く出ていなくても、治ったわけではないし治るわけでもない。
病気になると大概が「治るようにがんばれ」ってなるわけで
「病気は治すものだ」という考え方が一般的だと思います。
でも中には治らないものもあるんですよね。
病気がひどくなれば死ぬこともあるんだけれど、
刻一刻それが近づいてくる実感としての症状があるわけでもないので
まぁ幡野さんと比べれば大したことないんです。
なので「闘病」というと遠い話のような気もするんです。
でも逆にいうとコントロールしている毎日が「闘病」でもあるようにも思います。
だけど、
病状が外に出てくると途端にまわりから「闘病」というお題目を立てられます。
病気が目に見えない時が「本当の私」で、そうなるために「病と闘え」と。
「治る」ことが「本当の自分」になることなのでしょうか。
「病気」だったら「本当の自分」にはなれないんでしょうか。
「治る」を目標に頑張ってる人はすごいなぁと思いますけれど
私にとって、本当に必要なのはそこではないと思っています。
「病気」は付き合って行くもの。
「病気」の中でも「自分は自分を認められるか」ということ。
大概、心が折れそうになるのって周りからの
「はやく回復していつもの君に戻ってね」みたいな言葉だったりします。
「実はね、いつもの私もこういう闘いはしてて、それが見えないだけで
日常のバランスが少しだけ変わっただけなんだよ」とまくし立てたくなります。
病気の自分を自分の一部だと思うこと。
どんなに痛くて苦しくて辛くても
病気を含めた自分を自分だと思えるかどうか、が「闘病」ではないでしょうか。
「病気」でも「自分」が見えていれば、楽しいも嬉しいも見えてくるから。
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