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ミラノの展覧会に参加した経緯など
こんにちは。こんばんば。
イラスト・漫画を描いている つかはらゆき です。
前回のnoteでも書きましたが、イタリア・ミラノにある「M.A.D.S Gallery」の企画展覧会に参加いたしました。
こちらが私のアーティストページです。
「Reverse Coloring」シリーズを5点扱っていただき、そのシリーズとしての特異性や制作の特徴などを評価していただきました。
展示に至った経緯
そもそもなぜ突然ミラノのギャラリーからお声がかかったのか…というと
実はInstagramからでした。
個展開催中の出来事だったので、その流れだと思われている節はあるのですが実は違うのです。
個人の遊びのインスタは頻繁に動かしているのですが(といっても、クローズドなストーリーメイン)
アーティスト作品用のインスタはほぼ放置していた状態でした。
放置をしていた理由は個展前に書いた「スランプ」が要因です。
軸を失ってる状態で作品をあげることに違和感があったためです。
そんな中、作品用インスタでしかつながっていない知り合いも多いことから2年ぶりくらいに「個展をやる」旨を投稿しました。
この投稿によって作品用インスタへのアクセスが伸びたというのは無関係ではないとは思います。
突然インスタ経由で外国(言い方)から展示しませんか?と言われても
基本的には「詐欺かな?」と思ってしまいます。
ですが、検索をしてみるとそうでもないことがわかりました。
このnoteに書かれていることが決め手の一つになりました。
募集要項がほぼ同じ内容であったことや実際に参加されている方の経験談として非常に参考になりました。(ありがとうございます)
国内のギャラリーや美術館で企画展示をしている団体などでも、海外展示の募集をしているところもあります。
やはり輸送や保険なども考えてなのか、数十万円の参加費用でした。
M.A.D.S. Galleryでは画像を送りモニターによる投影で展示をすることもあってそのあたりの費用も削減できると説明されます。
それを考えても参加費としても全く「詐欺」と思えるような莫大な額を取り立てるという印象はありませんでした。
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とはいえ不安は不安で、様々な立場からのアドバイスをいただき
再三再四の費用について先方へ質問して、自分で納得できる状態にして「応募フォーム」を記入しました。
これを聞くのはズルいといえばズルいのですが、
Q「参加費用以上の価値が私の作品にあると思うか」
A「答えはイエスです。でも作品の仕様を細かく知らなければ正確な金額は出すことはできない」
これが決め手でもありました。
ただの「イエス」ではなかったということが重要でした。
シリーズ作品として取り扱ってもらった経緯
このnoteをギャラリーの勧誘を経てなどでご覧いただいてる方はお気付きかもしれませんが…
実はこのギャラリーが定例でやっている公募展では、作品は1点もしくは3点で募集されています。
ですが、私は5点展示することとなりました…
応募フォームを送った後に作品選定にうつるのですが、単に現在持ち合わせのポートフォリオを送ることに抵抗がありました。
自分の中心に「人の表情が描きたい」があることを確信した上で
「自分の作品として何を売るか」に対して同時進行で動いていた個展で大きく考えが動いている瞬間だったのです。
個展のコンセプトブックを見てくれた方はわかりやすいのですが、私の作品はテーマやシリーズによって作風が大きく変わります。
そのどれを扱っていくのかということに迷いがあったんです。
改めていくつかのシリーズで作品をまとめて、キュレーターであるLisaさんに相談をしたところ「Reverse Coloring」に興味を持ってもらい今回決定しました。
作品を提示しプロの目で選定してもらうというプロセス自体もかなり有意義だったなと感じています。
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次の章と話が前後するのですが
「Reverse Coloring」の制作過程や制作意図などをLisaさんの質問に答えたり自身の経験に照らして掘り下げたりというやりとりを2週間ほどやりました。
その中で費用の問題や作品数の問題(まだ「Reverse Coloring」シリーズはオリジナルとしては作品数が少ない)で1点での出展にしようと考えていました。
作品選定の最終段階でLisaさんから提案されたのは、作品を単体ではなく「Reverse Coloring」という手法も考えも他にはない「シリーズ」として扱いたいという申し出でした。
通常の点数に対する出展費用から考えるとかなりのディスカウントをいただきながら「シリーズ」の特異性を説明するためには5点が必要だ、と熱弁いただいたのを覚えています。
芸術的なセンスを含めかなりの信頼をしていたところでの熱弁だったので、逆に「詐欺っぽくないか!!?」と思ったのも覚えています(笑)
いやぁ、これが情熱のイタリアなのかな?とも思いました…(笑)
かくして、私の生活費をお茶漬け1か月半生活レベルまで削りに削って、石破ショックの中の激烈円安状態で予定以上の参加費用を支払って、シリーズ5点の展示となったのです。
Reverse Coloringとは
そもそも展示に至った「Reverse Coloring」シリーズとはなんぞや…という話なのですが、実は「遊び」感覚で始めたものでした。
「Reverse Coloring Book」という本が(確か)アメリカで流行し、
これは色が塗ってあるところに線画を足していくというぬりえ本の逆パターンの遊び本です。
最初に出版された本がこちら。えっ、登録商標…!?
これを発展させカラーリングをも自分で作り、その上に線画を描いていってひとつのオリジナル作品にしていったのがこの「Reverse Coloring」シリーズです。
個展でもよく例えていたのが「雲の形で『あれは鳥のかたちしている』とか遊んだでしょ、それと同じ」という説明をしていました。
友達に言うと「同じって言うか高度なんですけど」とも言われてましたが考え方と発想の方向としては「同じ」です。
芸術技法としては「見立て」なのかな?と思っていました。
この「見立て」の感覚がどうにも伝わりにくかった…!
日本では当たり前の「桜吹雪」の言葉にも表されたりする「見立て」
つまり「あるものが他のものに似ているので、それを表現に使う」という感覚があまり西洋ではないようです。
それが「Reverse Coloring」が興味を引きたてた要因の一つだと思います。
私の「Reverse Coloring」シリーズでは、色付けの段階ではなるべく無作為に、何か個別具体のものを描くことをやめています。
むしろ色を付けている時に浮かんでしまったら、消すように仕向けるくらいです。
ただただ色が生み出した形や色が持つ感情をなぞっています。
色が持つ感情というのは、簡単なところでは「赤は怒り」「青は悲しみ」「オレンジが喜び」みたいなことです。
それとどうしてもニチアサが好きなので「赤はヒーロー」「青は賢さ」「黄色はあざとさ」みたいなものが入り込んでくるのも否めません。
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描かれているものは色の印象と絵を描いた日の自分の心に在るものが織り交ざっています。
説明してしまえば「同じ景色でも違う気持ちで見たら違う景色に見えるでしょう」ということです。
実はこの「気持ち」と「景色」について一種の共感覚に近いものを持っているので、そういったものも「見立ての発想」をするときにかなり影響しているのだと気づきました。
そう、Lisaさんと作品について話すうちに、全くの異文化のコミュニケーションで、改めて自分の日本人アイデンティティの強さを感じ、また色に対する自分の受容の特徴に気付いたのです。
実はこの出展にあたって一番大きかったことはここなのではないか、と思っています。
「Reverse Coloring」というのは、遊びのひとつから始まった作品ですが
多くの芸術分野で使われる日本特有の「見立て」の技法を用いて
私が持っている固有で人と交わらない「色世界」を人に見える形にした作品群なのです。
キュレーターによる批評を読んで
この動画とは別でイタリア語と英語で文章になった批評文もいただきました。
動画でもそうですし、批評文(まだ全訳できてない)でもそうなのですが、非常に詩的に書かれています。
そして私の「Reverse Coloring」は日本文化的であり、それが「どう西洋文化の中で受容されたのか」がその詩的な文面の部分から非常に伝わってきます。
おそらく簡単には言い表せなかったのでしょう。
言い表せない・言葉がないというのは、ほぼすなわち「その文化がない」からだと考えられます。だからこそ観念的な言葉を繰り返すことが一番作品を表現できたのでしょう。
同じLisaさんが書いた批評文でももっとストレートな表現で批評されている方も見つけていたため、彼女の文章の特徴だと言い切るもの違うだろうと感じたのです。
参加するときに嫌味のような聞き方で「そんな価値があるんかい!」と質問したのは最初に書きました。
結果、この「Reverse Coloring」が持ち合わせた日本と私の「特有の感覚」には思う以上の値が付きました。
B4サイズ作品は570ユーロ(約8~9万円)、A5サイズ作品は460ユーロ(約7~8万円)と査定されました。
個展で売っていた金額の3~4倍で、これは自分の作品の価値は本当にわからないものだなと思いました。
あとは売れてくれたら良いのですが…(笑)
出展した感想
私はずっとずっと作品のアイデンティティを迷っていました。
先に紹介した個展開催のお知らせの時のnoteに嫌というほど書きました。
その中で見つけた「Reverse Coloring」という「遊び」は、自身の強烈なアイデンティティを表している作品だということを認識したのです。
これが今回M.A.D.S. Galleryに出展した一番の成果です。
そしてここで見つけた自身の作品のアイデンティティというのは、ずっと5年余り探していた自分の核だったんです。
作品を見てもらう機会というのがいかに大事か、というのは個展の感想でも話しました。
その見てもらう視線が「異文化」であり「プロ」であり、正当な評価をできる人物であった場合、こんなに得るものが大きいのだと実感したのです。
キュレーターであるLisaさんに作品を話すために、自分と自分の作品を改めて見つめ直せたことも大きかったとも思います。
正直、次の作品制作できないくらいには困窮していますが(笑)
それでも自身の作品理解や作品のアイデンティティにおいて、出展費用以上の価値はあったと思います。
明記しときますね。
出展してよかった!!!!!
出展をきっかけに他の海外ギャラリーからいくつかお誘いいただいたのですが、正直今のところLisaさんの熱量に勝るキュレーターさんはいません。
(+私の経済面で参加ができません!!!)
ただしっかりした場に出すことやしっかりした目で見てもらうことを続けていくべきだなと感じています。
そしてしっかり費用面や作品数としても準備して、来年は活動していきたいと考えています。
ナレーションによる批評をご紹介
批評文が詩的です、といっても何のことか動画で聞いているだけだとなかなか分からない…ということで
ナレーションの英文と私が意訳した日本語版を掲載しておきます。
お暇があれば、ぜひご覧ください。
In Yuki's works there is a breath of dream, a quiver of reality that is not merely transfigured, but dissolved and then recreated, as if it were the memory of a world we have lost. The stain of colour, ethereal and restless, seems to carry with it an ancient breath, an echo that vibrates beyond the surface, while the line does not delimit but unveils, tracing paths among the fragments of an imagined cosmos. It is as if the invisible found a voice and chaos allowed itself to be enchanted by a secret order, a balance that is not given but conquered, in the instant in which colour becomes form and form, again, mystery. These worlds do not look at each other, they inhabit each other. Their harmony is not a static datum, but a suspended song, a fragile balance that dances between the moment and eternity.
The gear, the emblem of life faces the dream is never simple face. She's the reflection and multiplies as simple the breadth and the silence of the line.
It is as if each figure carries with it not one story, but all stories, condensed into a flutter of wings or a sudden glow. Yuki’s art does not demand to be understood, but listened to. Every stroke, every chromatic vibration is a fragment of something greater, a threshold to an elsewhere that is not reached, but touched. Here, reality is not hidden, it dissolves in a new light, in a melody of shadows and colours that seems to whisper a forgotten language. And so, observing, one gets lost and finds oneself again: the gaze wanders, plunges, and finally surrenders, not to understanding but to wonder, accepting that the meaning, perhaps, is not in the object, but in the delicacy with which it allows us to imagine.
ゆきの作品には夢が息づき現が揺れる
形を変え、かつ消えかつ結びて、失った世界の記憶のようだ
神秘にざわめく色が太古の息吹を伝えるように深淵でこだまする
線は際限なく想像の宇宙のかけらの架け橋となる
まるで御神託や天地創造のような神秘の秩序や均衡
それは与えられず、色が形を、形が神秘を勝ち取ったものなのだ
世界同士は見つめ合うのではなく同居しているのだ
その調和は止まっているのではなく、歌のように広がり刹那と永遠のはざまを躍動し繊細に保っている
夢に生きる象徴の歯車は決してただの表層ではない
鏡であり単純な幅と静かな輪郭を掛け合わせている
まるでそれぞれの形はひとつだけではなくすべての物語を伝えるようだ
鳥の羽ばたきから一瞬の木漏れ陽までをつめこんでいる
ゆきの芸術は、解ろうとするのではなく耳をすますことだ
線や色のすべてが重要なかけらで、届かずとも触れられるここではないどこかへの扉だ
ここでは現実は隠されているのではなく、新たな光に、影や色の旋律に溶けこんでいるのだ
まるで忘れ去られた言語をささやくように
―注意深くあろう―
我を忘れ我に返る
そう、じっと見つめ、さまよい、飛び込み、ついには降伏するのだ…
理解ではなく驚き、意味を知る
それならおそらくモノだけを見たのではなく、あなたは想像の翼を広げたのであろう
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