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色でえがく、ということ
前回のノートで自分の感受性が死んで、そして生き返ってきたことを話しました。
関係してるといえばしてるし、別の話だっていえば別の話。
今回は自分の一番の得意とする部分を、避けてきたっていうことを話そうと思う。
■昔からの自分の絵の評価
昔といっても本当にちゃんと人に見せるための絵を描きだした高校生の時の話。
なん年前って書くと落ち込むくらい前のこと。
文化祭でもそうだし普段描いていても、美術の先生にも、どんな場面でも
「色がきれい」って言われることが多かった。
高校時代はまわりに上手い人も多くて、色がきれいって他にほめるところがないからだー!とか(性格が屈折していたのもあって)思っていました。
こういう仕事をするようになって、いや、するちょっと前から
人より色の違いが判別しやすい目を持っているということだったり
組み合わせや使い方に自分の感性が鋭く働くことだったり
使える「青」の種類がものすごい多いことだったり
色彩感覚にまつわる自分の得意技を意識するようになりました。
今まで自分に「色がきれい」って言ってきた人たちはなんて正当な評価をくれていたのだろう!とやっと気づけました。(遅すぎるんですけども)
でも、私は色を使うのが怖かったんです。
■ねぇ、どうしたらよかった?
ずっと一緒に育ってきて、私はその人のことが大好きで
その人も私が描いた絵を見て「きれいだね」って言ってくれていました。
でもある時ふいに知るんです。
その人が色覚異常だったことを。
どんな気持ちでそのセリフを言ってたのだろう?どんな風に見えていたのだろう?
私を傷つけないように、私に知られないように、私が絵を描き続けるように…
たくさんの疑問と、もらった優しさに気づきました。
そして私は絵に「輪郭」を描くようになり、わかりやすく塗り分けるようになり
一種狂ってしまったかのように「わかる可能性」を描くようになりました。
でもそんなのが上手くいくわけがなくって
ちょうどその頃、右手に重度の腱鞘炎が襲いかかり
私はその時に絵を描くことをすべて諦めてしまうほどでした。
どうしたら正解だったのかなぁ。
それでも自分を貫いて、色でえがくことを信じられていたら良かったのだろうか。
ミュージシャンがいたら聞いてみたい。
たとえば好きな人の耳が聞こえなくなったら、それでも歌い続けますか?って。
■自分の作品をつきつめた
自分の得意なものってなんだろう?
自分の作品ってなんだろう?
絵画人生でいったい何が描きたいんだろう?
ようやく感受性の息を吹き返した私はそういうものにぶち当たりました。
何かを作る人だったらいつもこれと共にあるのが普通かもしれないですよね。でも私はこういう問題を自分の問題として受け止めたのが、前回のnoteの後のことでした。
そう、結局どうしたって、なん年も前からずっと言われてきた「あの褒め言葉」が自分の一番の武器なんです。
色でえがく
どう逃げてみても自分にはこれしか残ってなかった。
でもそうやって描いてみたら急に作品が「自分」になった気がした。
呪いは自分がかけるものなんです。
色が見えなかったら、自分が見えなくなっちゃうって思っちゃったんです。
私のまわりにいた誰もが「私が絵を描かなくなる」ことを望んでなんかなかった。腱鞘炎は言い訳に過ぎなかった。
私は色が怖かった。だからきっと逃げた。
でもそこに、自分がいた。
私が生きてる世界はきっと誰よりもカラフルな世界なんだ。
むせかえるような色にあふれた世界に、私は、います。
だから私は色でえがくんです。見えなくてもこの世界が届くように。
■グループ展に出しました
そうやってできた作品をグループ展に出してきました。
「世界の入り口」
「悲しみの中からはじめよう」
「アネモネが咲いた日」
私はこの作品たちから「つかはらゆき」になるために進んでいこうと思います。
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