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なんとなく「くじら」には母のイメージがある。
シロナガスクジラが亡くなった後の話とか読むと特に。
すべてを周りに捧げて沈んで行くおおきな存在。
今日は母の日でした。
先日、母が近所のスーパーの駐車場で転倒し怪我をしたと連絡があった。
なぜなら今週母がうちに来る用事があったから。
母は自分が病気になっても怪我をしてもけっこう連絡をしてこない。
そろそろそれは困るなと今回のことで思った。
感謝はしている。
と同時に許せないこともある。
いや、許せないことをようやくここ数ヶ月で忘れられるようになってきた。
私の成長なのか、それは同時に「あきらめ」だったようにも思うけど。
なにしろ今は怪我が思ったより重くて心配で仕方がない。
たいしたことはできないのである。
孝行ってなんだろう。
自分がうれしいことが、きっと母にとってうれしいことではないのだ。
昔、母のかつての夢を聞いて、それを家庭を持ったことで叶えられなかったことを聞いて、自分の存在や誰かの我慢の上に成り立つ生活を知り、ひどく困惑したことがあった。
そして、最近した「あきらめ」は
きっと母にとってその夢は「私の世話」をすることで少し叶えているのだと考えるようになったことが大きい。
母に迷惑をかけることが泣くほどつらいのだけれども
もしかしたら母にとってはそうではないのかもしれない。
そんなことを思うから、私はずっと甘えた根性なのだけれど。
母の夢は「誰かのサポートをする仕事」だったそうです。
きっと私は母に出会うためにうまれてきたのだから
何かちゃんと喜んでもらえるようなことができるようになりたいなぁ。
そんな母の日。
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