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らいぶ と りある
みなさま、サッカーはお好きですか。
私の母はサッカー観戦歴が50年以上になる年季の入ったサッカー好きです。
その影響で幼少期から私もサッカーを見るようになり、大好きな選手もいて、スタジアムに行き楽しんでいたのですが、最近はあまりみていませんでした。
ですが、2018FIFAワールドカップ、めちゃくちゃ無理をしながら(何しろ2日間睡眠不足からくる貧血で動けなくなってました)なるべくリアルタイム観戦しています。
◆なんでW杯だけ見るの?
まったくサッカーに興味のない友達がこんなことを言っていました。
「W杯だからって急になんでサッカー見始めたの?」
最近まったくサッカーを見ていなかったので、最近の私しか知らない友達にしてみれば突然W杯で騒ぎ始めた「にわか」のように思ったみたいです。
いや、「にわか」であることは間違いないのですが、日本が予選を勝ち上がったからとか、なんか盛り上がってるからという理由で見ているわけではなくて
サッカーの楽しさを再認識できたから見ているんです。
しかも「サッカー楽しいじゃん」って思ったのは日本戦ではありませんでした。
フランスvsアルゼンチン
あの決勝トーナメント1戦目。
あんなにサッカーの魅力に溢れた試合は4年に1度だって見れるもんじゃない。
それをリアルタイムで中継で観れたのはサッカー熱に火をつけるのにじゅうぶんでした。
◆世界水準
どんなものに対してもそうなのですが
「一流のものに触れること」というのはすごく経験と見る目を豊かにすることだと思っています。
絵を描く人間として、描きたい被写体の一流のもの(たとえばバイオリンならストラヴィンスキーを生で聴くとか)に触れておくべきだと思っています。
そのものの「本質」や「魅力」がそこに集結されていると思います。
「それがそれとして存在たらしめているもの」を感じられること
それを感じておくことは絵筆に絶対的リアリティを持たせることに繋がると思っています。
それが今描きたいものではなくても、きっと「一流」を知ることは自分から発せられるものの説得力になると信じているんです。
◆上京してきたときの話
私が何が何でも地元を出て大学進学とともに「絶対東京に来たい」と思ったのは
流行や話題のこと、事件やニュースがすべて「テレビの中のこと」だったからでした。
何を見ても聞いても、流行りに乗ってみても全くリアリティがない。にせもの感。
良いことも悪いことも、自分の目で見れる自分の足で行ける範囲にありたかった。
そういう信念のもと(って誰にも当時言わなかった)上京したのでした。
上京して数週間で通り魔事件が15分前にいた場所で起きた時には「これじゃない」とは思ったのですが。
十数年後「なんで東京にいるんだっけ?」って思った時にポケモンGOが流行って、そのバカ騒ぎっぷりを見たくて都内の公園を巡って一緒にポケモンやりました。
良いこと、悪いことが同時に起きてるのを目の当たりにしたんです。
そこには完全なリアリティがあった。だってライブ(生)だから。
◆らいぶ と りある
結局、自分のほしいものは「リアリティ」なのだと思います。
「一流を感じること」「生で感じること」
そういったことが自分にとって、かけがえのない現実との接点だと思うのです。
どうしても空想の中で生きようとしてしまう自分の、自分の作品の
説得力、存在感、手に取れるリアリティを生み出す源だと思います。
だから自分が吸収する芸術としては「その場で起こる芸術」(=ライブ、舞台など)が好きなんだろうなぁ。
このままW杯は、生中継で、あと2試合を観戦したいと思っています。
さ、2日間の睡眠不足を解消するために寝るぞー!!!!!
ヘッダーの写真は私の昨日のリアルでした。
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