フルーツのサンドイッチとコーラが好きな祖父の話。
私の祖父は、セブンイレブンのフルーツのサンドイッチと、コーラが大好きな人でした。糖尿病なので、祖母にめちゃくちゃうるさく言われてたけど、曾孫が遊びにきた時は半分こするという条件で食べさせてもらってた。その曾孫は未だにセブンイレブンに行く度に、「あれはじいじが好きなやつだね」と言います。
私の実家には、一番目立つ場所にすごく大きな賞状が飾られています。祖父の父が、国から表彰された時のものです。
祖父の父は、第二次世界大戦中にサイパンで戦死しました。お骨は何一つ帰ってきていません。家には祖父の父の写真があるのですが、祖父によく似たイケメンです。孫の私が言うのも何ですが、祖父は結構なイケオジです。
思えば、小さい頃には祖父から戦争の話を聞かされたことはありませんでした。(忘れてるだけかもしれませんが)私は本当におじいちゃん子だったので、一緒にいる時間は本当に長かったけれど、遊びや旅行に連れていってもらった記憶はあれど、そういう話を聞いたことはありません。
大人になって家を出て、認知症が少し進んだ祖父は、何かのきっかけで自分が子供の頃の話を少しだけ私にしてくれました。
「あの頃は、本当に惨めで惨めで仕方がなかった」と。
父親が戦死して、母親も早くに亡くなってしまって、小さい妹と祖父母との生活は本当に苦しかったそうです。ご飯もロクに食べれなくて、芋ばっかり食べていた。その芋だって十分に食べれなくていつもお腹を空かせてたと。親がいなかったことが、本当に惨めで仕方がなかった。
祖父はそれを聞いて私に何をしてくれとか、ああしろこうしろと続けはしませんでした。私が聞いたのも、その断片的な話だけです。
でももう何年も前のことなのに、未だに「惨めだった」と繰り返す祖父の姿が頭から離れません。
今回のウクライナ侵攻で、私が一番ショックだったのは、「一市民に武器を持たせて、命を捨てる覚悟で国のために戦う」ことが美談だと言っている人たちの多さです。第二次世界大戦中から何も価値観がアップデートされていない。行きの燃料だけを詰め込んだ飛行機に、「祖国のため」という大義名分を若者に背負わせて戦艦に突っ込ませたあの時と何も変わっていない。
その方々の決死の覚悟や思いを軽視している訳ではありません。
ただそれは、二度とあってはいけないことだと私はずっと思ってきました。
この国では夏になると、たくさん戦争を題材にした作品を目にします。学校でもたくさん習います。その教育を経て大人になった私が思うのは、「愛国心なんてものが、個人の人生や命より尊重されていい筈がない」ということです。
特に、何よりこんな安全なところで、インターネットをしているような人間がそれを美化しちゃならんのです。
誰しも国のために喜んで命を捨てようという価値観が、何十年か前にこの国には当たり前にありました。家族の命だけは守りたくても、逃げたくてもそれを許してくれない世論があった。戦いたくない、家族の下に帰りたくても許されなかった。それこそが戦争の、一番の悪ではないのでしょうか。戦争に負けて、たくさんの犠牲の中で得たせめてもの教訓なのではないのでしょうか。
私は戦争を知りません。
生まれてからずっと、のうのうと平和な日本で生きてきました。
命の危機に怯えたこともありません。国がなくなるかもと怯えたこともありません。
しかし、私の祖父の父は戦争で死にました。
殺されたのか、飢え死にしたのか、それすらもわかりません。
日本から遠く離れた場所で、死んだということだけしかわかりません。
お骨の入っていない空っぽのお墓を、祖父は盆暮正月には必ずきれいに手入れをしていました。
食べるものがなくて惨めで仕方がなかった子供時代を経て、祖父は晩年曾孫と半分に分けたフルーツのサンドイッチとコーラを祖母に怒られない程度に嗜み、昨年たくさんの家族・孫・曾孫に囲まれて永眠しました。
今振り返ると、祖父のその人生こそが、敗戦後に築きあげてきた平和というものの、何よりの結実なのではないかと思います。
こんな話をすることがウクライナの為になるとは1ミリも思っていませんが、どうしても書かずにいられなかった気持ちを書きました。
お読みいただきありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?