時にはMetalの話をしようか

 わたしの「時には昔の話をしようか」はカラオケの十八番であり、ちょっとしたものですよ。どれほどちょっとしたものかと言うと音声学の先生に「上手い! 特に声門の締め方が良い!」と褒められた程です。
 音声学者というのもままならないものらしくて、フィールドワークが主戦場であり、ある語族の平均寿命が80才を越え、愈々その言語が滅んでしまうという喫緊の問題があったため毎回の講義の口から変な音を出す練習を放り出して中国かどこかの山奥へ飛ぶなどされておりました。

 Heavy Metalを今年あまり聴いてなかったなあ……という想いがあるのだけど、これは聴きたくなくなる程に成熟したなどということはなく、単に在宅勤務になって聴く機会が減ったのです。これは驚くべきことだ。出歩かなくなったら集中してアルバムを聴くチャンスがなくなった。Heavy MetalをBGMにするというのは背神行為なので、仕事中は無音です。

 それでも縋るように聴いていたものを挙げます。今年、全体的に元気がなかったのはHeavy Metal成分が足りなかっただけ、というカルト療法もびっくりの新説を提唱したのはわたしが最初だって後世どなたか語り継いで下さい。

Conception『State of Deception』
 まさか今年を生きて終えることが出来ると夢にも思ってなかったし、Conceptionが再結成するなんて夢にも思っていなかったので、いやいや、生きてみるものだな、と。冷たい天上の美を顕すにこれ以上のものはないはずが、ここに来て全く未知の攻撃性、全く未知の美しさを提示されて探究心というものは誠に恐ろしいものです。

Vampire『Rex』
 昔々あるところに汚thrashというものがあって、あったんだよ。ただでさえ荒々しい事を旨とするThrash Metalの中でも、演奏技術が向上したら「あいつらは大人しくなった、商業主義に魂を売った」とか揶揄したりして、汚ければ汚い程いいという文化があったのです。
 そこら辺への憧れをほの見せつつBlack Metalの叙情性が出ちゃって、ついでに言えばThrash MetalへSpeed Metalが離陸する前の正統派ミドルテンポもやっちゃう、人類の好きが全部入っているアレ。

Triptykon『Requiem』
 数多のロックバンドがだいたいツッコけるオーケストラコラボレーションだけど、Celtic Frostの2nd時点でだいぶ変な音が入っていたのでまあ外すことはないだろうと思っていたけれど、本当に夜の海に永遠に沈んでいくような暗黒で、長時間の没入を強いる魔性の音楽でした。勿論仕事中に聴けない。
「ゆさん、今いいですか?」
「いい訳ないだろ。今Triptykon聴いてんだぞ。舌噛んで死ね」

Ruff Majik『The Devil's Cattle』
 アルバム冒頭を飾る5音くらい下げてそうなGarage Songの"All you need is speed"曰く真っ黒なキャデラックに乗ってヴァルキュリーと一緒に音速でヴァルハラに行くんだそうです。ばーか、ばーか! おまえなんか愛されてしまえよ。おおよそクソデカMC5みたいなもん(クソデカ羅生門同様)と考えてもらえればいいです。

"
Valhalla bound at the speed of sound
I'm in a pitch-black Cadillac
"

Demonical『World Domination』
「バタバタバタバタ(ハードコアっぽい太いリズム)
「ヴァー!(デス声とちょっと違う唸るような咆哮)」
「オッ、北の方のDeath Metalの方ですね?」
 ……という「Death Metalとは何か? それは自由だ」などという問答をなぎ倒すどうしようもないスウェデス。そういうお作法があるんです。そういう文法があるんです。これは継承されるべき文化なのです。刻めているようで刻めていないベイエリアクランチみたいな曲もクリーンヴォイスで歌うバラードも愛おしくてたまらない。

Gravenchalice『Apparition』
「日頃よほど嫌なことがあったんだろうなあ」
「日頃よほど嫌なことがあったんでしょうねえ」
 トレモロにもブラストにも唸り声にもこのくらい怨念とかルサンチマンとか、そういう汚い感情がたくさん詰まってないと嫌です。小器用なことをしないで賢くなったつもりになるより世界にどうやって復讐するかを真摯に考えて行きたいBlack Metalでした。

「Heavy Metalとは怒りの音楽だ」との謂は「パンケーキは小麦粉だ」程度の情報量でしかないなとインターネットで怒りを共鳴させている方々を遠目に見遣りつつ思うわけです。わたしはあなたの正しさを保証しないし、わたしはわたしを十全に正しいと思わない。「わたしはもう充分に倫理的である」という言説がどれほど倫理的に響くか考えればわかる事です。

 定めし犯人がいる訳でも世界が一方的に悪くなっていっている訳でもなく、こざこざとした瑣末なパラメーターが混在して混沌とした出力を撒き散らしている状態で、何かしら意見を持たなければと焦る必要がどこにあるんだ、と厭離穢土した身からすると不思議に思います(穢土はわたしを離さない訳ですが)。
 今すぐAかBか選べ、と詰め寄られた場合、それは謬論なので敬して遠ざかると良いかと存じます。今すぐある必要はないし、Cという選択肢もあります。我々は巨悪と戦っている、だから我々は善である……なんてあまりに素朴というかイノセント過ぎて……。

 ご存知ですか? 世界の幸福指数が新品のギターで数値化されており、年々上昇している事を(ターンテーブルじゃないんだ……)

なんかくれ 文明とか https://www.amazon.jp/gp/registry/wishlist/Z4F2O05F23WJ