【医療小説】吾輩は人工鼻である
吾輩は人工鼻である。名前は、けっこうある。モイストラップやインスパイアとか呼ばれている。
いつ、どこで生まれたのか見当がつかぬ。ただ確かなのは、吾輩が目覚めたとき、すでに病院の倉庫に並べられていたということだ。あたりには同じような仲間たちが箱に詰められ、整然と置かれていた。我々の役目は決まっている。呼吸の苦しさを抱える誰かに寄り添い、その息遣いを助けること。
吾輩たち人工鼻の使命は明白である。それは、人工呼吸器を通じて送り込まれるガスと共に、患者から受け取った温度と湿度を与えること。患者の気道を保温してあげることだ。
仲間の中には、空気中のホコリや細菌をキャッチし、人間の肺を汚染から守る役割を担うエリートもいる。まるで、窓に置かれた網戸のようなものだ。彼らの方が少し給料は高い。ちょっとだけな。
人間にとっては些細な役割に見えるかもしれぬが、我々にとっては生きる意義そのものなのだ。
ある日、吾輩はついにその役目を与えられた。一人の患者に取り付けられたのである。彼は長い間、人工呼吸器に頼らねばならぬ身であった。病室の静けさの中、機械の規則的な音が響き渡る。
彼の気道は乾燥しやすく、痰が詰まりやすいということで、加温加湿器さんの方がいいのではないかと医師や看護師、臨床工学技士などチームで検討された。
吾輩は緊張した。なぜなら、加温加湿器さんと一緒には過ごせないからだ。絶対禁忌なのだ。加温加湿器さんがいると吾輩は死んでしまうのだ。協議の結果、どうやら吾輩でしばらく様子を見るそうだ。吾輩の方が扱いがシンプルだからな。吾輩は一層の注意をもって彼の呼吸を支えた。
吾輩の一日は、吸気と呼気の循環の中にある。吸い込まれる冷たく乾燥した空気を、吾輩は自身の中で湿らせ、温める。それを彼の肺へと送り込み、そして彼の吐く息の湿気を再び蓄える。こうして、彼の呼吸は少しでも楽になるのである。まさに、吾輩の働きがなければ、彼の肺は荒れ果て、さらなる苦痛を味わうことになろう。
患者は吾輩を褒めてくれないが、その静かな息遣いが、吾輩の仕事の成果を伝えてくれる。機械の音の合間に、ゆっくりとした吐息が聞こえるたびに、吾輩は安心するのだ。
だが、吾輩の寿命は短い。長くても24(~48)時間、場合によっては目詰まりが早く起これば、その役目を終える運命にある。ある日、看護師が吾輩を外し、新たな人工鼻へと交換した。
その瞬間、吾輩は戸惑った。
「付ける位置はそこじゃない!」
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