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【医療小説】入室前のバイタル [2/4]【#臨床工学技士】

第二部:品格と地位

 医用材料室には、日々さまざまな人々が出入りする。看護師、助手、医用材料の納品業者、清掃スタッフ。そして、時折、医師や事務員も顔を見せる。彼らはそれぞれに異なる目的を持ち、異なる態度でこの小さな空間へと足を踏み入れる。

 古賀修一は、作業台に並べた医療機器をひとつずつ点検しながら、無意識のうちに耳を澄ませていた。コンコン。二回のノックが響く。これが病院内で最も多いノックの回数であり、まるで暗黙のルールのように定着している。しかし、先日から彼の意識の片隅にあるのは、それ以上の回数——三回、四回のノックだった。

 その日もまた、二回のノックの後に、看護助手が使用頻度の少ない物品を取りに来た。彼女は簡単な挨拶をし、慣れた手つきで棚を開ける。そして、ドアを開けたまま、別の助手と他愛ない話を始めた。

 「昨日の日勤、大変だったみたいね」
 「うん、またコロナで棟閉鎖になっちゃったみたい……」

 修一は小さく息を吐き、マイナスドライバーを握り直す。彼に対する関心は皆無だ。そもそも、ここは彼の専用の作業スペースではなく、ただの「医用材料室の一角」に過ぎない。だからこそ、他者は遠慮なく会話を続け、彼の存在は背景の一部と化す。

 しばらくして、コンコンコン。三回のノックがあった。

 ドアを開けたのは、医用材料の納品業者だった。年の頃は四十代後半、身なりの整った男性で、言葉遣いも丁寧だ。

 「失礼します。先日ご注文いただい物品、こちらに置かせていただきますね」

 彼は小さく頭を下げながら、控えめな口調で言った。
 ——三回以上ノックする人は、決まって礼儀正しい。

 それは偶然ではないのかもしれない。修一はそう思いながら、男の動作を観察した。彼は決して慌てることなく、一つ一つ確認するように作業を進め、去り際にも「失礼しました」と言い添えてドアを閉めた。その所作には、どこか余裕のようなものが漂っていた。

 「収入の高い人間ほど、ノックの回数が増えるのだろうか」

 そう考えたとき、コンコン——ノックもなく、突然ドアが勢いよく開いた。

 「おい、古賀!」

 事務長の無駄に大きな声が、修一の耳を突き刺した。

 「この前、俺が頼んでた件、まだやってないのか?」

 事務長はマスク越しでも明らかに分かるほどに苛立った表情で言った。そうした怒りを隠そうともしない神経を、修一は理解できない故にむしろ関心があるような口調で返答した。

 「確認中です。メーカーの返答待ちの状態です」

 修一が淡々と説明すると、事務長は舌打ちをし、

 「チッ……遅いんだよな、いつも。もう少しスピード感を持ってくれよ」

 と言い放ち、乱暴にドアを開けて部屋を出ていった。

 修一は工具を置き、静かに息を吐いた。
 ——ノックをしない人間は、相手に敬意を払わない。

 医療機器のメンテナンスがどれほど病院全体に影響を及ぼすかを知る者は少ない。医療機器に不具合が起きたとき、メーカーに修理を任せれば、当然に有償であり、修理完了するまで一ヵ月程度の期間がかかる。それ以上の期間を要す場合もあり、院内で修理できる機械の状態であれば、臨床工学技士が作業した方が速い。また、修一は医用材料の整理も実施していた。適切な商品を選択することで大幅なコストカットに成功していた。修一の上司は彼の仕事ぶりを評価していたが、彼がどれほど病院に貢献しているかを理解している者は、ほとんどいない。

 その日の夕方、再びノックの音が響いた。
 コンコンコンコン——四回。

 ドアが静かに開く。入ってきたのは院長だった。

 「古賀さん、少し話せるかな?」

 修一は驚きながらもうなずいた。院長は部屋の隅の椅子に腰を下ろし、穏やかな口調で続けた。

 「いつもありがとうね。古賀さんのおかげで、スタッフみんな安心して医療機器を使うことができているよ」

 修一は軽く頭を下げた。

 「いえ、ありがとうございます」

 院長は満足したように微笑を浮かべた。椅子から立ち上がり、軽く背筋を伸ばすと、「手を止めてしまってすまなかったね」と言い残して部屋を後にした。

 部屋に静寂が戻る。修一は机に視線を戻し、そっとプラスドライバーを手に取った。

『第三部:ノックの意味』に、つづく

最後まで読んでいただきありがとうございます。
※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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ゆう|メンタルケア × 呼吸ケアCE
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