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【医療小説】血路 [最終話]【在宅ECMO】
第四部:命の境界線 - 真実と選択
夜は静寂に包まれていた。しかし、その静寂は清志の家の中では不安と混乱に満ちたものだった。ECMOの操作履歴には、確かに流量設定が下げられた記録が残されていた。しかし、それを誰が行ったのかを特定することはできない。
「なぜ、こんなことに……」
家族の誰もが声を震わせ、困惑し、時折、悠を責める視線を向けた。静寂が広がる中、突然、息子の翔が震える手を握り締め、口を開いた。蒼白な顔で唇を震わせながら、かすれた声で言った。
「僕が……やった……」
その場にいた誰もが凍りついた。家族の目が一斉に翔に向けられる。
「お父さんに頼まれたんだ……楽にしてくれって……」
息子の声は途切れ途切れだったが、確かにそう言った。その言葉を聞いて、妻の明美は息を呑み、母の佳代は膝から崩れ落ちた。
「そんな……そんなこと……」
誰もが言葉を失う。息子の告白が真実なのか、それとも自らの行為を正当化しようとしているのか、悠には分からなかった。ただひとつ確かなことは、彼が耐えきれずに告白したということだった。
悠は沈黙したまま、息子の告白をただ聞いていた。震える声で「お父さんに頼まれた」と繰り返す少年の姿を前に、悠は何も言えなかった。家族も言葉を失い、重い沈黙が広がる。室内の静寂の中、唯一、機械の作動音だけが変わらず響いていた。
まもなく主治医と看護師が駆けつけた。悠は簡潔に状況を説明し、人工肺の目詰まりを指摘する。
「新しい回路に交換しますか?」
悠が問うと、主治医は顔を曇らせ、ゆっくりと頷くと、家族の方に向き直った。
「現状、すでに厳しい容態です。これ以上の処置をどうするか、ご家族で決めていただけますか?」
家族は誰も答えなかった。沈黙が支配する。視線を交わすことすらできず、それぞれの思考の渦に囚われているようだった。清志がこれまで耐えてきた日々、そして最期に彼が望んだこと――それを正確に理解している者が、この場にいるのか。
明美は嗚咽を漏らし、佳代はただ天を仰ぐ。息子は膝を抱え、沈黙を守った。悠はそんな彼らを見ながら、自らの胸に問いかけていた。
本当の医療とは何なのか。生きるとはどういうことなのか。「生かす」というは何なのかと考えた。
生きるとは、ただ心臓を動かし、血を巡らせることなのか。それとも、人が自らの意思で選び取るものなのか。
生と死の価値とは、誰が決めるのか。
清志は本当に安らぎを求めていたのか、それとも生きる希望を最後まで持っていたのか。息子がしたことは、父を楽にするためだったのか、それとも、自らの苦しみから逃れるためだったのか。
悠には分からなかった。ただ、どこまでが生で、どこからが死なのか。その境界は誰にも決められない。悠は視線を機械に落とす。変わらぬ作動音。しかし、それはすべてを救うわけではなかった。
悠はふと清志の顔を見た。その表情は穏やかなのか、それとも苦悶なのか。
その答えを見つけられないまま、彼は静かに目を閉じた。
『完』
最後まで読んでいただきありがとうございます。
※この物語はフィクションです。2025年2月現在、在宅医療の現場でECMOは実施されていません。
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