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【医療小説】血路 [1/4]【在宅ECMO】

第一部:導入 - ECMOと在宅医療の未来


 臨床工学技士の高瀬悠(たかせ はるか)は、病院のICU(集中治療室)での勤務を続けながら、最近では在宅医療のプロジェクトにも関わるようになっていた。ECMO(体外式膜型人工肺)を含む高度医療機器はこれまで病院での使用が前提だったが、技術の進歩により、在宅医療への応用が模索され始めている。

 ECMO(エクモ)とは、心臓や肺が重い病気でうまく働かなくなった時に、一時的に心臓と肺の代わりをしてくれる医療機器である。私たちの体の中では、肺が空気中の酸素を血液に取り込み、心臓がその酸素を全身に運ぶ。でも、病気で肺が壊れてしまったり、心臓が動かなくなったりすると、酸素が体中に届かなくなってしまう。ECMOは、体の外で血液をきれいにして、酸素を体中に送る役割をする。重い病気で心臓や肺が回復するまでの間、患者さんの命を助けるための重要な医療技術である。

 「最期まで家で過ごしたい」

 そんな患者の願いに応えるため、人工呼吸器や透析装置の在宅利用はすでに実用化が進んでいる。しかし、ECMOの在宅使用となると話は別だ。機器の維持管理の難しさや、緊急時の対応の困難さ、何より「どこまで命をつなぎとめるべきか」という倫理的な問題がある。

 悠は、ある在宅医療説明会の会場にいた。そこでは、在宅ECMOを希望する患者とその家族、そして医療者たちが一堂に会し、意見を交わしていた。

 「病院ではもう治療法がないと言われました。でも、ECMOを使えば、もう少し時間が持てるかもしれない……」

 ある患者の家族が涙ながらに訴える。それに対し、医師が慎重な口調で答える。

 「確かに技術は進歩していますが、在宅での管理は非常に難しくなります。ECMOは血液を外に取り出して酸素を供給する装置です。感染リスクや血栓の問題もありますし、緊急時の対応が遅れる可能性もあります」

 「でも、病院にいたって治る見込みがないのなら、家で最期を迎えさせてあげたいんです。ほんの少しでもいいから、生きていてほしいんです」

 悠は、その家族の言葉に胸を締めつけられるような思いを抱いた。技術が進歩し、選択肢が広がることで、患者や家族はより深い葛藤を抱えるようになっている。限界が明確であれば諦めもつくのかもしれない。だが、ECMOが「生かせるかもしれない」という可能性を提示してしまうことで、苦しみが長引くこともある。

 説明会が終わり、悠は同僚の医師と帰路についた。

 「在宅ECMO、どう思う?」

 医師の問いに、悠は答えに窮した。

 「……技術的には可能だと思います。でも、それが本当に患者さんのためになるのかは、わかりません」

 「だよな。医学的に見れば、ECMOは延命措置だ。根本的な治療にはならない。それでも希望を持たせるべきなのか……」

 そんな話をしていた矢先、悠のスマホが鳴った。

 「高瀬さん、在宅ECMOを希望している患者さんがいます。あなたに担当してほしいと希望されています」

 悠は一瞬、息をのんだ。

 「患者さんの名前は……岩田清志(いわた きよし)さんです」

 その名を聞いた瞬間、悠の胸にざわめきが広がった。

 岩田清志─かつてICUで担当したことのある患者だった。

 彼は医師として働いていた過去があり、ACP(人生会議)の重要性を説いていた人物だった。医療者である彼が、なぜ在宅ECMOを希望しているのか。悠の脳裏には、彼と交わした会話が甦っていた。

 『僕はね、命をどう終えるかが大事だと思ってるんだ』

 そう語っていた清志が、今はECMOで生きながらえようとしている。悠はスマホを握りしめたまま、深く息を吐いた。

 「……わかりました。訪問の手続きをお願いします」

 これが、自らの問いに向き合う機会になるのかもしれない。悠は、まだ見ぬ清志の家を訪れることを決意した。

『第二部:患者との出会い - 延命か、最期の選択か』につづく

最後まで読んでいただきありがとうございます。
※この物語はフィクションです。2025年2月現在、在宅医療の現場でECMOは実施されていません。

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ゆう|メンタルケア × 呼吸ケアCE
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