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「ある日突然、喪主代理になったら」〜1日目お通夜編〜

2022年、お盆。
おばあちゃんが亡くなった。

私はその日仕事をしていて、昼休み中にお母さんからきたLINEでその事を知った。
とりあえずやる事はスケジュール確認。
特休のシステムを調べて、1日取得で上長に連絡。あとはたまたま丁度連休だった。合わせて3連休にし、帰省する事にした。

1日目、お通夜の日。
大阪から朝のバスで香川に帰省。
この頃はこれから起きる事なんか、何にも知らない状態だった。
朝10時すぎ、香川着。
いつも通りお母さんに迎えにきてもらって、その時に言われた
「緊急事態なんや、お父さんが発熱したんや」

なんと!!!

どうやら朝水やりをしていたら体の不調を感じたらしく、何回測っても熱が38度ほど。熱中症のような症状だけど、念のため検査の為に病院へ。
その間、葬儀場へ行くのは弟が。お父さんと病院行くのはお母さんが、みたいな状態。とりあえず私は自宅待機。

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■家族スペック
構成→父、母、弟 実家同居
私→35歳 家族とは別居暮らし
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お父さんは検査したものの、この頃はコロナが1日1000人以上出るピークの時期で、結果が分かるのに1時間ぐらいかかるからと家に帰されていた。
その間にお母さんと私は葬儀場へ。
その間に、分かる範囲での葬儀場の担当の人と打ち合わせ(会食の内容など)。この時は弟が喪主代理になる方向でもろもろと決めていた。その後、弟も用意があるからとお母さんと一緒に一旦帰宅。私が1人、葬儀場に残る。

1時間では結果出ず、
約2時間後に弟から電話。
「お父さん陽性やった」

なんとーーーーー!!!!!!!

同居しているお母さんと弟は濃厚接触者となり、もう出て来れなくなる。特に濃厚接触者と言うても症状全くなく元気だったが、親戚のお年寄りが集まる手前、もうどうしても出て来れなくなる。
葬儀場には私。あとは頼みのお父さんの姉である叔母さん一家がいる。

叔母さんと合流。
どうしよう〜〜〜と雪崩れる。お互い、お母さんと電話何回かやりとりして、私と叔母さんと叔父さんが喪主代理みたいな事になる。でもやはり、1番喪主代理は私となる。ヒー。
私は女性なので、家族の中での喪主優先順位は最下位だ。父→弟→母→私
私は濃厚接触してないから葬儀場にいる事はできる。これが1日前に帰って一緒に食事でもしてたら、喪主一家全員不在で更にえらい所だっただろうな。

まだまだ雪崩れたいが、すぐに担当者との決め事。家から担当者に連絡は入っており、とりあえず会食しようとしてた内容は全てお持ち帰りのお弁当に変更。こちらの担当者の方が本当に親身で良い人で、後々のほとんどの事を助けられる。男性で、焦らず、おだやかーに優しくお話してくれる方だった。そして仕事が早い。

決める事はお供物を並べる親戚の順位。
知らん。
流石に叔母さん中心に一緒に考えてもらう。お父さんにもLINEで確認しつつ、大体、叔母家→おばあちゃん出里家→本家親戚総代→こっち側親戚→叔母側親戚→同行(地域の仲間)みたいな順となる。

・供花→棺の横に備えるお花
・盛籠→祭壇の近くに置かれるお供物詰め合わせ(乾き物やお菓子のセット)
↑これすらその時に知る。

あとは喪主一家ほとんどおらん事は見え見えなので、お父さんがコロナでーすと参列者に言うんか言わんのか。いつ言うんか。の議論。
ほとんど親戚の人ばっかりやからコロナで来れんくて、という事を直接言うていくことは決まり。一般の人も少し来るので、お通夜の司会の人はコロナとは言わず、喪主および家族数名が来れない事をご了承くださいませ的な言い方でアナウンスしてくれる事となる。
この時はみんなパニックやし、色んな考え方だったので中々決まらないムード。最終的には葬儀場の方が提案してくれた。

親戚もろもろ着、私と叔母さんで事情を伝える。お寺さん到着、事情を伝える。もちろん驚愕されるけど、皆さんから優しい言葉をいただく。

受付には同行の方が4名。香典集めるセットがあり、最終は私に渡していいか確認される。

てんやわんやで通夜スタート。
うちは真言宗です。

お焼香の順位があり、わたしが最初にスタート。担当者にもっかい教えてもらい、
一礼→3本ゆびで3摘み→手合わせ→一礼→みんなに一礼。
その後は焼香してくださる方全員に一礼する為、祭壇隣りに立つ。この時は叔母、叔父も一緒に3人で立った。

お通夜の後、一般の人には砂糖のようなお品をお渡し。親戚は本当は通夜食での会食予定にしていたが、お弁当をお帰り際に持って帰ってもらう事になる。
そして、この弁当が全員は足らない事が発覚。
叔母一家を抜くと足りるので、ギリセーフでお渡しが完了する。
香典を引き渡してもらい、通夜終了。

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お通夜の日、本当はお父さんが葬儀場に泊まっておばあちゃんと一緒にいる予定だったが、私と叔母さんが泊まる事になった。
叔母さん一家は一旦帰る事に。

その後、誰もいなくなったタイミングでお母さんが私のお泊りセットを持って来てくれた。
その際にも少し打ち合わせ。
お母さん最終的には、よろしくねバイバーイ♩と結構のんきだった笑

故人おばあちゃんと2人。
怖いとかは全くないが、不安で寂しくなり友達に連絡したりの時間。
友達の声は本当に安堵だった。
ちょいちょいお婆ちゃんの棺の中の顔を見にいくが、とっても穏やかな顔をしていた。

夜にまた叔母さんが来て、もろもろ決める事になる。
その時に決めないといけなかったのが、
・出棺の時の役割
・初七日のお弁当の数。
・火葬場に行くであろうメンバー数
・初七日に残るであろうメンバー数
(初七日は葬儀と同じ日にやってしまう法事)

叔母さんがお爺ちゃんの葬式の時に、お父さんが作成した親戚一覧役割シートみたいなのを持ってきてくれたので、それを参考に決めていく。その時に初めて家族のグループLINEを作成。これが連絡のスムーズさに役立つ。
なんで今までなかったんや。

なんやかんや決めて、あとは寝るだけ。
でも中々寝れなかったなぁ〜
葬儀編へ続く。

後編〜2日目告別式・火葬場・初七日編〜はこちら


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