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奇跡の出来事

8月27日は、全世界のファンたちにとって、奇跡の出来事だったんじゃないだろうか?

あらゆるところで、大興奮が巻き起こって、ハッピーに溢れたのではないだろうか?と、私は1人興奮していた。

oasisの再結成!

びっくりした。

正直、もう生きている間に、そんなことは無いのかもしれないと、諦めていた。

それに、この奇跡のもう1つに驚いたのが、音楽の素晴らしさ。

oasisの音楽が大好きなファンたちが、喜びと幸せで溢れたのだから。

似てなくて、ごめん!(笑)

思わず興奮と喜びとハッピーから、描いちゃったよ(笑)。

私は、ここのところ正直、色々と悩むことが本当に多くて、音楽も頭の中に入れないぐらいだった。

それも、音楽もイラストを描くことと同じくらいに大好きなのに。

私は3歳からクラシックピアノを習い始めて、15歳までピアノ教室へ通っていた。

その間に、自分で作詞作曲をしたり、耳コピで楽曲を演奏したりして、それをしだしたのも11歳ぐらいから。

作詞作曲を特にやりだしたのは、尾崎豊というシンガーソングライターとの出会いからだった。

でも当時は、ポエムをよく書いていたものに合わせて、メロディーを作るというやり方がメインだったので、自分でもなんなくで作曲している程度だったのだが、本格的に1曲作ったのが、中学生の時の体育の授業で、グループで創作ダンスを作るという課題があった。

そのときに担任から、創作ダンス用の曲を作曲してほしいと言われたのだった。

そして、その曲を使って、グループの皆でダンスを考え、踊った…。

当時の曲も、録音テープは担任に預けたままで、自分には残していなかったが、そこまでやるくらいに?!いや、自分で音楽を作って歌うくらい、音楽が好きだったのだなあと、本当に自分で自分を振り返ると、感じるくらいだった。

さて、話は戻って、oasis。

oasisとの出会いは、oasisがデビューしてからすぐだった。

元々、ビートルズが、父親の影響で大好きで、小学生の頃から聴いていて、また、中学生の頃から大好きだったUNICORNの奥田民生くんの影響で、アナログ盤を集めるほどにビートルズファンだった私は、oasisの楽曲との出会いは、衝撃的であった。

その頃は、Nirvanaなどのいわゆるグランジロックも流行っていた頃で、グランジロックやUKロックをいったりきたりして聴いていた頃だった。

日本は渋谷系の流行りが終わりを迎えていたか、終っていた頃ではないだろうか…。

だんだん、日本のバンドブームも終わり、テクノ系や小室哲哉プロデュースブームの頃辺りだっただろうか…。

その頃の私は、oasisやSTONE ROSESなどのUKにどっぷりはまっていた時だったりもした。

oasisのライブは関西の公演はほぼ行った。

大阪クアトロのLiveから行ったのだが、最後の2009年のジャパンツアーやフジロックには、結婚前の準備やら仕事やら…何やらで?!行けなかったような記憶がある…。

2005年の大阪サマソニのことも深く記憶しており、あのときはoasisだけでなく、大好きなバンドが勢揃いしすぎなくらいにしていた公演だった。

OPEN AIRステージでは、oasisにWEEZER、アジカン、そしてKASABIANなどなど、他のステージじゃTEENAGE FANCLUBや木村カエラやらと、とにかく各ステージを走り回って、大好きなアーティストを見て回った記憶がある。

もちろん、ワンマンでは、IMPホールでのコンサートなどは、まだ人気も今ほどではなかったから、スタンディング会場で走り回れたくらいだった。

それが今では、世界中が待ち望んで、彼らの復活を叫んで喜んでいるじゃないか…。

そんな彼らの奇跡を私も叫ばずにはいられなかった。

実はこの情報を知ったのは、滋賀のホテルにいた時だった。

家族旅行に来ていた時だった。

ホテルで叫びましたよ。

夫にも、『関西の全公演行くわ!』なんて言って、oasis貯金を始めると話した(笑)。

でも考えたら、今ってWebチケットで、予約の範囲も限られてしまっているから、昔のように、なかなか全公演のチケットを取得できる方法って無いのでは?(笑)

とにかく、1公演だけでもいいから、必ずチケットをゲットするのだ!と意気込んでいる。

そして海外でのチケット販売が、もう始まっているのかな…?

今日か明日だよね?

X上でも話題で、皆、たいへんナーバスになっている様子。

チケット代金もかなり高額の噂だし。

とにかく、oasis貯金を始めるぞ!(笑)

奇跡と感動との対面のために!

神様!お願いしますー!!

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