「冬の森」第11話
第11話 冬の思い出
子どもの頃、週末になると家族でスキーに出かけた。それは姉が中学生になる頃までずっと続いた。
父親が運転する車で夜中に出発して起きる頃にはスキー場に着いている。
母親がつくったおにぎりと卵焼きと、スープだったりお味噌汁だったり、を車の中でキャーキャー言いながら四人で食べた。
しゃりしゃりと静かに音を立てて滑り込むタイヤの音、
空が明けきらない静寂の中を誰もがスキーやらボードやらを担いで駐車場から歩きだす。
白銀のゲレンデに絵具で描いた様な色とりどりのウエア、笑い声、音楽、まるで遊園地にいるかの様な気持ちで雪とたわむれた。
この習慣化された思い出が冬の寒さを幸せな感触に導く。
だから冬はいつだって暖かい。
五年前のあの日の帰り道、ニセコから空港に着くと、昨夜からの吹雪で機材の到着遅れをアナウンスしていた。
朝陽は機上の人でいる時間が長いせいか事も無げにラウンジで寛いでいる。
「里奈はお姉さんが引っ越してひとりになった後でも、今すぐにでも、ぼくの家に来て。里奈は何も気にせず、毎日を里奈の思い通りに自由に過ごせばいい。」
と、朝陽はもうずいぶん前から決めていたことの様に話した。大学生の頃からわたしと一緒に住んでいた姉が、春に結婚するのを機にわたしは実家に戻る予定だったことと、
朝陽の家族が入学するのを機に日本からアメリカに住まいを移すことがちょうど重なった、という偶然を、
朝陽は「タイミングが良かった。」というセリフを使わずに言った。
でも簡単に言うとそういうことだった。
「一緒に暮らす」には会社を退職することが必須要件だったことをこの時は気にしない様にしていた。
最初の一年は色の勉強をするために学校に通い、課題もリモートでの仕事も山積みで精力的にめまぐるしく過ごした。
部屋は日当たりの良い広いワンルーム。
朝陽と一緒に選んだ家具に囲まれて毎日が暖か。
朝陽は毎月十日程をここで暮らす。
日中は仕事で不在もあったけれど、国内を旅行したり、帰国できない月は一緒に海外で過ごしたりもした。
二年近くが当たり前の様に幸せに過ぎると今まで心の片隅にありながらも気にしない様にしていたことが気になりだす。
朝陽はここで暮らしていない時はどこにいるのかしら。ううん、それは家族とアメリカで過ごしていたり、仕事で諸外国に出かけたりしていて、わたしはその時その時をよく知っているはず。
でも何を目にして何を感じて生きているのかしら。
ここにいる時は何もかも知っているはずの朝陽がどこか別の場所にいる時は全くの別人になっている様な気がしてだんだん怖くなった。