見出し画像

「冬の森」第15話

前回 最終話

第15話 冬の森
 新千歳空港で朝陽あさひを待つ。大げさな胸の鼓動を感じる。
鼻から空気を取り込んで口から吐く、を繰り返して呼吸を整えていたら輝く様な笑顔の朝陽あさひと目が合った。

 少し車高のある車が雪道を進む。車列は少なくもない。どの車も行き先はスキー場かしら。
朝陽あさひはいつもより少し無口になって両手でハンドルを握る。
頼もしさとどこかはかなさが絡み合ったとてもいい横顔だった。
五年前もこうして助手席で朝陽あさひの横顔を見つめていた。
何も変わらない。何ひとつ変わっていない。
わたしはこのヒトのことをずっと想い続けるだろう。その確信と安心がわたしを幸せにする。

 道のりの半分程で休憩を取った。
朝つくったおにぎりとドライトマトやほうれん草を入れたオムレツ風の卵焼きとポットに用意したお味噌汁。
車内は充分暖かくされていたけれど熱いお味噌汁をひとくちすすると体の中からほっとして、少し緊張していたのに気づいた。

 「いつも思うんだけど里奈りなのおにぎりは特別においしいね。手から何かエキスでも湧き出てるんじゃないの?」 
 と、ひと口で半分程になったおにぎりを目の高さまで持ち上げてさも満足そうに言った。
 「やだなぁ、もう。それはね、きっとね、溢れる愛情だよ、愛情。」
 と、朝陽あさひの方に向き直って少し自慢げに言った。
彼はくくっと笑ってわずかに眉間を寄せると、わたしの口元に付いたお味噌汁を自身の親指ですっと拭ってペロっと舐めた。
うっとりする様な甘い表情だった。

 スキーに関して、わたしたちは上級者だ。
リフトを乗り継いで山頂に着くとほとんどの場合視界はゼロに近い。
ポールで雪を蹴って滑り出す時の緊張感と高揚感こうようかん
木立こだちが山を駆け上がる。
ゲレンデから途切れ途切れかすかに流行りの音楽が聴こえ出す。
どんどんスピードに乗って山も空も降り注ぐ雪もひとつになって、体内に取り込まれる。
この世界のすべてはふたりの中で完結している様だった。

 心地よい疲れ、五年ぶりのホテルのライブラリー。
わたしたちがよくやる遊びを始めた。創作した物語をふたりで順番につむいでいく。
お互いに絵本が身近にあるからか、ファンタジーがほとんどだったけれど後で夢に出てくる様なホラーなストーリーになることもあった。
今夜は信号待ちの度にきつねが車に乗り込んでくる話から始まった。
話が進むと突然朝陽あさひが「小さい人」というワードを出した。
びっくりして思わずソファーの背もたれから身を起こした。
 「あっちゃん、小さい人知ってるの?」
朝陽あさひは喉の奥でため息をつく様にぐぐっと笑うと少しくぐもった様な声になって
 「ん?それはたぶん僕のことじゃないかな?」
 と、両手で帽子をかぶるポーズをした。
 「やっぱり里奈りなも会ってるんだね。里奈りなも突然異次元に飛んで行ってどこかの風景見たりしてるんじゃない?それたぶんその時僕が見てる景色だよ。」
朝陽あさひは事も無げに落ち着いた笑顔でそう言った。
これまで誰にも話さず、深く考えない様にしていた一連の不思議な出来事が一瞬にして全部がつながれて現実の出来事になった。
でも、自分の中ではきっともうわかっていた。日常の生活に溶け込む様に。
 「わたしと全く同じことがあっちゃんにも起きているの?それ本当?」
ふたりで大笑いしてふたりで泣いた。

 「わたしね、三年くらい前からかな、年下の恋人がいたの。」
朝陽あさひはゆっくり目を閉じるとうなずいた。
 「驚いたけど、とても驚いたけど、里奈りな里奈りなの思い通りに毎日を暮らせばいいんだ。それは僕もそうしているし、僕たちは何があってもつながれている。」
 「そうよね、わたしもそう思う。だけどあっちゃんの家族は違うわ。わたしのことを知ったら苦しむ。それはどうしても嫌なの。」
朝陽あさひは何も言わず両手を首の後ろに組んでうなだれた。
 「メタセコイヤが窓から見える大好きなお部屋をお引越ししたの。朝になったら先にここを出るね。」

 何度も迷って何度も引き返す理由だけを模索していたのに口に出した途端、するすると言葉が出た。朝陽あさひの手がわたしの頬を包む。大きくてきれいな大好きな朝陽あさひの手。
 会えるから好きなわけじゃない。話すから通じ合えるわけじゃない。会えなくても触れなくても愛おしさの感触が全身に食い込んでくる。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?