「冬の森」第3話
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第3話 赤坂見附で乗り換えて
渋谷駅から銀座線に乗って腰を掛けると目の前にちょこんと小さい人が座っていた。足をぶらぶらさせてご機嫌そうに見えた。
黄緑色の帽子。また会ったね。
真正面にいたから電車内の情景と対比できた。
この世界の色に対して彼は少し青み帯びていて、言ってみればモノクロームに近い様に感じた。
表参道から大勢の人たちが乗り込むのに紛れて消えてしまった。
赤坂見附で丸の内線に乗り換える。
会社を辞めるまで同じルートで通勤していた。広めのホームの雑踏を交差する様に颯爽と乗り換えるのは都会の人の多忙を象徴している気がしていい。
こんなことすら意識上にある程大学を卒業してからの毎日は充実していた。幼児向けの小さな出版社で幼児教育のプリントに色を付けるのを主な仕事とするカラーコーディネーターとして働いていたけれど、
事務でも雑用でも進んでやった。
入社して六年目二十八歳の春に大谷朝陽と再び出会った。
一番最初に朝陽と出会ったのは高校一年の夏休みだった。
真夏にも関わらず涼やかな風を感じる日だった。
わたしが通う高校にはテニス部に所属しながらも必ず文化部にも所属する決まりがあって、なんとなく「ジャズ研究部」に入部した。
同じ様な人たちの集まりだった。
ぼやぼやとジャンル別のジャズを聴くだけの部活になり下がっていたある日、三年の瑤子先輩が自身の彼を含めたジャズ研の三人の大学生を連れてきた。
その彼が一年の朝陽|《あさひ》だった。
「ギターを弾くからジャズも聴くけどロックの方が好きなんだ。」
じっと目を見つめて小首をかしげる仕草でそう言った。ギターを弾く大きくてきれいな手に惹かれた。
「ノルウェーの森ってさ。」
「邦題の印象と詞に落差ありますよね。」
「ノルウェーの家具じゃね。」
「シタールなのに。」
「ジョージじゃなくジョン。」
主語が欠落しても小気味よく話が弾むのが楽しかった。自身では絶対探し当てられない様なジャンルの大好きが増えた。
瑤子先輩の進路が決まったある日、ふたりはスキーに行く話をしていた。どうやらカップル何組かで行く計画らしかった。
瑤子先輩の花が咲いた様な笑顔が美しかった。
朝陽は
「里奈ちゃんも行こうよ。みんなで行こ。」
と、何度も誘ってくれた。
いつも優しくて穏やかな瑤子先輩は少し間をおいて、
「そうね。もっと大勢で行くのも楽しいわね。」
と、明らかなつくり笑顔で答えた。
朝陽に会ったのはそれっきりだった。なぜ偶然どこかで会えると思い込んでいたのか。
どうしても会いたくて大学で探し回っても会えなかった。
それから十年以上が過ぎて、子どもの書籍やおもちゃを輸入する会社の経営者として突然現れた。