あのこは貴族を観てわかったこと。
「あの子は貴族」、Netflixで観ました。
生まれながらの育ち、というものに関心があったので
なんとなく観ました。
「あーそうだな、そういうことか」みたいな感情が
少女時代を振り返り、湧き上がるものがありました。
「育ち」がなんとなく私のコンプレックスだったので、
映画を観て、そのモヤモヤした思いが
輪郭として出てきた気がしました。
そもそも名家とは無縁です。
幼少期は割と貧乏でした。
いとこに「ゆかちゃんちは貧乏だね」と言われて、
自分の家が貧乏だと知りました。
大人になって振り帰っても、まあまあ貧乏だったなと思います。
看護師になって、あまりお金には困らなくなりました。
大人っていいなって思いました。
少女時代から大人になる過程で、
私にも格差はあったんだと思います。
高校時代の仲良しは
ちゃんとした両親がいて
経済的に不自由のないように見えました。
例えば靴。
高校生ならリーガルのローファーなんかを
大体の女の子は通学で履いてるんです。
私は母子家庭の団地育ち、
母親は仕出し弁当の仕事に就いていました。
リーガルのローファーなんて知らなかったし、
知らなかったから買えません。経済的に無理。
仲良しの友達はセンスがよかった。
彼女は20代で結婚して、
新居に置いていた家具はフランス映画に出てくるような
アンティークのキャビネットが置かれていて
素敵でびっくりしました。
若い私は感化されました。
似たようなものが欲しかったけど
全然違うキャビネットを買ってしまった。
その彼女は30歳の記念で
ブランドの名前も覚えられないような
イギリスの高級時計を身につけていていた。
彼女にとても似合っていて素敵だった。
多分その影響があったのだろう、
40歳くらいの時にファッション本で見た
カルティエの時計の写真がかっこよくて、
取り憑かれたように買ってしまった。
でもこれが、まあー似合わないんです。
友達は褒めてくれるけど、なんかしっくりこない。
しっくりこなから自然に身につけなくなった。
分相応でないということがわかったんです。
成人式の着物もそうでした。
私は赤くて綺麗な振袖が欲しかったけど
見に行くと赤くて綺麗な振袖は値段が高いんです。
母に「いらないよ」と言ったけど、
「成人式の着物を着せるのが夢」と言うので
値段を見ながらオレンジ色の振袖を選びました。
成人式の日は振袖を着たまま友達と集まってご飯に行きました。
そのなかの友達が
赤い綺麗な振袖を着ていて
素敵で羨ましかったのを覚えています。
若い時に憧れの一人暮らしをして、
少しづつ家具やソファを増やしていきました。
気に入って購入したのに「なんか違うな」の連続だったんです。
失敗というほどでもないのに「なんか思っているのと外れたかな」的な。
それでも好きな空間で生活することができて幸せだった。
周りから部屋を「おしゃれ」とか「らしい」などと褒められると嬉しくて。
そんな風に積み重ねて、
「これだ」というものを選んでも、
少し違うなという感覚は否めなかったんです。
洋服や家具も、
私は幼少期から「良いもの」に出会う機会がなかったからか
「良いもの」を選び取るセンスを体得してなかったんだと思います。
映画「あのこは貴族」を観ていたら
「育ちとか品性ってなんだろう」というモヤモヤした気持ちが、
映画をみてるうちにしっくりきたんです。
何がしっくりしたのかというと、
自分の人生と重ねて振り返ると
小さい頃から良いものに囲まれて育って行くと
自然に良いものを選び取るセンスが備わるんだと。
自分にはそれがなかったし、
そこは「育ち」が根本にあったからだとわかりました。
「品性」がある人は、雰囲気を纏っているといえばいいのか。
「品性」のある人は、足を広げて座ることはしないでしょうし。
生まれ育った環境によって「格差」って出るよなと。
それは経済的な面が影響しているのでしょう。
映画のはなこちゃんは、
世間知らずなんだけど健全な精神をもつお嬢様だった。
違和感というものを素直に感じることができる子で、
最後は自分で人生を選び取った。
映画のみきちゃんは多分カルティエのバッグを仕事用で斜めがけしていたけど、きっと頑張って買ったんだなっていうのが
観ていて感じました。
でもみきちゃんは、花子ちゃんより先に自分の人生をしっかり生きていた。
その人の本質に品性があり方向を間違わなければ
物も人との関係も選び取ることができるし、
本質が下品なら、嫌味とか意地悪になって現れるんだと思います。
一般的な家庭で、ちゃんと教育を受けられて、
経済的に問題のない家で育てば
本質が下品でないかぎり「育ちがいい人」になるのではないか。
生まれが貧乏でも、本質が下品でなければ品位を持って生きていける。
そんなことが、わかったような気がしてしっくりきたんです。
だからもう「育ち」とか「格差」のコンプレックスはさっさと捨てて、
自分を大切にできる人生を生きればいいだけなんだと思えたんです。
私はこの映画を観て、そんなことを感じたんです。