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「ツイッターやっててよかった」と思った、抱きしめたくなるような出会いの話。

「初対面の人と話すのは得意だし、緊張したこともありません」という人は、とても稀だと思う。
自分も含めてたいていの人は、初対面はもちろん、何度か会ってじっくり話す機会でもない限り、相手に対してはそれなりに緊張するし、距離感を縮めるのは時間がかかる。ましてやそれが1対1でなく、1対 複数人ならなおさらだ。
なのに、だ。
11月のあの日は、あれはいったい何だったのだろう。いまだによくわからない。すでに坂上薫さんがnoteで書いてくれた、有楽町での1日のことだ。

集まったきっかけは、ウエチカズヤさんnoteだった。それはまだ夏で、ツイッターのタイムラインに流れてきたツイートで、ウエチさんが深い悲しみのなかにあることを知った。結婚したばかりの奥さまを亡くされていたのだ。
何と言葉をかけてよいかわからなかった。自分にできたのは、型通りのお悔やみをリプライで送ることだけだった。むなしい。送っても送らなくても変わらないのじゃないか。そんなことを思った。

ウエチさんと私は、親しいわけではなかった。それまで、きちんとお話をしたことは一度もない。お会いしたことは何度かあるが、一言、二言のやりとりだったり、ときには会釈のみという、なんとも細く頼りない、「間柄」とも呼べないような関係だった。

ただ、日々のツイートから、お互いの住まいがまあまあ近いらしいということは感じていた。ウエチさんも察してくれて、以前DMで、「どこどこ(住まいの近く)で飲むけど、来ませんか?」というお誘いをもらったことがあった。また、田中泰延さん関連のイベントで顔を合わせたときに、「この後みんなで(飲みに)行くけど、どうですか?」と声をかけてもらったりもした。でも私はそのたびに都合がつかず、丁寧にお断りしつつ、残念に思っていた。

そんなときのウエチさんの態度はとても明るく爽やかで、感じよく「また誘います」と返してくれたし、私が申し訳なく思っていることに対する「気にしないでねー」感が伝わってきた。「誘いを二度断ると、二度と誘われなくなる」とよく聞くが、ウエチさんはきっとまた声をかけてくれるだろうと思えた。単純な私は、この「また誘います」は社交辞令ではない、と信じてしまうのだ。

しかし、ウエチさんに対して、今度は自分がお誘いする立場になった。それも、とても特別な状況で。
ウエチさんの悲しみを少しでも紛らすにはどうしたらいいだろう。いやいや、その前に、自分が何かすることでウエチさんが喜んでくれるのだろうか? たんなるツイッターの相互フォロワーというだけだぞ?

同じ頃、私と同じことを考えていたのが、坂上薫さんと、こゆき(小雪)さんだった。私にとっては、おふたりともツイッターで知り合った、尊敬する年上の女性だ(ちなみに、薫さんとこゆきさんは、リアルではもちろんだがツイッター上でも「面識」はなかったようで、たまたま私はおふたりのツイートがタイムラインに流れてきて知り、薫さん、こゆきさんそれぞれと、別々のタイミングで仲良くなった。なのでこの時点で薫さんとこゆきさんは、つながっていない)。

薫さんもこゆきさんも私も、ウエチさんを囲んでお食事会をしたいね、というのが共通の思いだった。せめてその時間だけでも、少しでも笑って過ごしてもらえたらうれしい、と考えていた。
でも、同時に薫さんもこゆきさんも危惧していたのはやはり、「ウエチさんは、ツイッターの人が食事をしようと言ってきたら、うれしいのかな? ツイッターの人をどう位置づけているのかな?」ということだった。

日々のとりとめのないことをつぶやいたり、ときどきリプライや引用リツイートなどでやりとりすることはあっても、今回、きわめて個人的なできごとを背景に、複数人で集まって飲んだり食べたり話したりすることについて、どんな感情を持つのだろう? 要するに、「しんどいときに、よく知らない人に食事に誘われて、うれしいのか?」。そこがとても大きな迷いのポイントだった。

とは言っても、お誘いしてみないことには始まらない。私は薫さんと、またこゆきさんとも相談しながらタイミングをうかがい、思いきってDMを送った。(一度、奥さまの四十九日が過ぎたころにウエチさんにDMを送ろうとしたのだが、その矢先にウエチさんはお父さまも亡くされていた)。
すると私がDMを送信してからなんと15分後に、ウエチさんから返信が届いた。

「気にしていただいて本当にありがとうございます。どなたかにお会いできるのは、とてもありがたい限りです」

こんな風に言ってもらえて、ありがたいのは私たちのほうだった。
そして、ウエチさんとよくお酒を共にしている(というツイートをしている)穂波エダクニさんも、私たちと同じように食事会を開きたいと思っている、ということをウエチさんの返信で知った。
エダクニさんも、ウエチさんにとってはツイッターで知り合った仲のようだ。そのエダクニさんが、私たちと同じように思っている。そのことに私は、ほっとしたし心強く思ったし、実際、そこから一気に話が進んだ。

私はエダクニさんにもDMを送り、これまでのことを伝えた。そしてこの「ウエチさんを囲む会」は、こぢんまりとした、心のこもった席にしたい。参加した全員がウエチさんの顔がよく見えて、お互い無理なく話せて声が聞こえる距離にいる。そんなイメージを私は持っていたが、エダクニさんもそれは同じようだった。なので自然に、人数は少なめがいいですよね、となり、最終的に、ウエチさんやエダクニさん、私たち言い出しっぺ3人が多少なりとも(ツイッター上だけででも)知っている人で、私たちを含めて8人に落ち着いた。

そこからはウエチさんともやりとりをするなかで、エダクニさんと私でお店探しをしていたが、ウエチさん自身もグルメサイトからピックアップして候補のお店を提案してくれた。ウエチさんがこの会を前向きに捉えてくれていることが伝わってきて、うれしくなった。

また、参加者が決まった時点で、ツイッターでグループDMを作った。このグループDMで、ネット上ではあるが初めて8人がそろい、それぞれが「はじめまして」とか「こんにちは」などと挨拶をしたのだった。
その後は日程調整やお店についての共有をしていたが、食事会の前日にウエチさんから送られてきたのは、投稿前のnoteの文章だった。
そこには、亡くなった奥さまとのそもそもの関係や、結婚に至るまでのこと、そして、奥さまがお亡くなりになったときのことなどが、克明に、ありのままに綴られていた。

それらのお話は、食事会当日にウエチさんが大きな声で語れるようなものではないし、また、シチュエーションによっては私たち7人に別々で何度も同じ話をしなくてはいけない。そういったある意味でのリスクを回避するために、書いてくれたのだと私は思った。
また、このお話を当日にすることで、私たちがリアクションに戸惑ったり、空気が重くなってしまうかもしれないことを気遣ってのこと、というのも容易に想像がついた。
そしてあらためて、ウエチさんの大きな悲しみが、自分は体験したことのない、想像をこえるものだと思った。
けれどもそれと同時に、ウエチさんがこの会に参加するひとりひとりに対し、とても好意的に、オープンな気持ちでいてくれていることも感じられて、私たちへの信頼みたいなものを受け取った気がした。

こうして、この「ウエチさんを囲む会」に参加する8人(ウエチさん、エダクニさん、ツカサさん、薫さん、こゆきさん、つかごしまなみさんか みさん、私)は当日を迎えた。待ち合わせを「11時45分に有楽町マリオンの時計下に集合」と決めたのは私だったが、私は家でのちょっとしたアクシデントのためにマリオンに間に合わず、一次会のニュートーキョー現地着になったことは、痛恨の極みであった。

私は12時ちょうどにニュートーキョーのあるビルに着いた。店内に入り、ウエチさんを真ん中にして文字通り囲んでいる小さな集団のいるテーブルを見つけて近づいていった。誰かが私に気づいて、「あ、ユカンチさん」と声をかけてくれた。そしてみんながこちらを見た。そのとき、私はちょっとした違和感を覚えた。なんだろう、このグループの、にこやかでほのぼのとした空気は。私は待ち合わせに遅刻したけれども、この人たちだってマリオンで顔を合わせてからまだ15分かそこいらなのだ。そして私を含めてここにいる全員が、誰かしら初対面の人がいる。初対面でなくても、ほとんど話したことのない人のほうが多いはずだ。なのに、なぜかこの場がすっかり和気あいあいとして、あたたまっている。初対面特有のぎこちない緊張感やよそよそしさが微塵も感じられない。私は自分が遅刻したことを詫びると、まるでクラスの仲良しグループの輪の中に入るみたいに、自然に迎え入れられた。

みんながあまりに馴染んでいるので、「もうみんな飲みはじめて、少し酔ってるのかな?」と思ったら、そこにちょうど乾杯のビールが運ばれてきたのも驚いた。しらふで、初対面やそれに近いメンバーが多いなかで、なぜこんなに打ち解けているのだろう。そういう自分も、席に着いたとたん、ほっとしている。なんだ、このいきなりの居心地のよさは…。

ちなみにこのとき私はエダクニさんの隣に座ったが、私はエダクニさんと初対面であることを理解しておらず、初めて「こんにちは」とDMを送ったときからずっと、田中泰延さん関連のイベントでお会いしたことがあるつもりでやりとりをしていた。それでなんだかすごく馴れ馴れしい態度をとっていた気がする。今回このnoteを書くにあたりエダクニさんに確認したところ、この日が初対面だったことを知ったのだ。エダクニさん、大変失礼いたしました。

また、余談になるが、当日「乾杯」するときはほんとうに「乾杯」でいいのか、それとも「献杯」のほうがいいのかで、一応幹事の私は前日までは少しだけ悩んでいた。なので当日、それとなく誰かに相談しようと思っていた。が、実際は自分が遅刻したため乾杯に間に合わず、そして乾杯の音頭を取ったのは、ほかでもないウエチさんだった。ビールジョッキを手に、みんながとびきりの笑顔の「乾杯」だった。一足遅れた私はコートを脱ぎながら、自分は遅刻してよかったのかも、と思った。堅苦しい相談など、ここでは必要なかった。

ニュートーキョーで話したことも、二次会の居酒屋で話したことも、三次会のカラオケで誰が何を歌ったのかも、もはやはっきりとは覚えていない。覚えているのはほぼイメージで、私たち8人が、キラキラした、大きくてふわふわしたシャボン玉みたいなものに包まれて1日を過ごしていたような感覚がある。

ひとつ覚えているのは、一次会の席で、ウエチさんがタブレットで、奥さまの写真を見せてくれたことだ。「わあ、かわいい!」「美人ー!」と我々中年女子たちは叫んだ。奥さまはほんとうにかわいくて美しくて、ウエチさんが私たちに見せたくなるのもよくわかった。奥さまはウエチさんと同級生ということだが、我々中年女子は、奥さまというより、彼女の写真を見せてもらったときのようなはしゃぎ方をしていた気がする。そしてそれは多分、ウエチさんを不快にはさせてはいなかったように思う。

また、薫さんも書いていることだが、ウエチさんを励ますつもりが、なぜかいつのまにか自分たちが手放しで、ただただ楽しんでいた。だいたい「励ます」なんてえらそうに、一体自分に何ができると思っているのか。みんなで楽しめて笑顔になれていればそれでいいし、最高じゃないか。

こういうことは珍しいのではないかと思うのだが、おそらく全員が同じテンション、同じ気持ちで緊張もなく、飾ることもなく、自然体で笑ったり冗談を言い合ったり、歌ったりしていた。もちろん、ウエチさんも笑顔で、カラオケでは張りきって美声を響かせていた。
そしてこの日、誰もが、誰のことも傷つけることがなかった、と私は感じている。楽しいだけではない、何かひとりひとりの心の奥底に秘められた優しさのようなものが、常にこの場に充満していた。バカ騒ぎをしているかのようで、じつはとても「大人な大人」の人たちだった。

考えてみると、お互いよく知らない大人たちが昼に集まったのに、二次会が終わって、はい、三次会はカラオケです、となったとき、「それじゃ、私はこのへんで…」と言いながら駅のほうに後ずさりする人が1人もいなかった。こういうとき、だいたい1人か2人は帰る人がいる。それはそれで仕方ないとはいえ、そこでちょっと興が冷めるものだ。
けれどもこの日は、8人が8人全員そろって最後の最後まで残っていた。それ自体が、みんながこの時間を楽しくて愛おしくてたまらないと思っていることを表していると思う。自分と同じ感じ方、喜びを、ほかの7人も共有しているのがわかる。そんな神がかり的なことが、あるものなんだな。

いよいよお開きとなり、数寄屋橋の交差点で、それぞれが日比谷線へ、銀座線へ、JRへと、駅に向かって散り散りになった。名残惜しいし、寂しさがMAXに湧き上がってくる。「誰か4次会行こうって言わないかな?言わないか。電車の時間もあるしな…」と心で呟いていたのは私だけだろうか。

「なぜ今回、このメンバーでご縁があったのか」を考えたとき、全員が田中泰延さんのファンで、田中さんをフォローしているからこそタイムラインでお互いをよく見かけるようになった、というのは間違いない。なので田中さんには感謝しかない。

でも、そもそもツイッターをやっていなければ出会わなかった人たちだ。ツイッターをやっていたから田中泰延さんを知り、こうしてご縁がつながったのだ。いままで何度もことあるごとに「ツイッターやってて、よかった」と思ったが、今回ほど強く実感したことはなかった。
そして、ツイッターをやっていたからこそ、リアルでは初対面やそれに近い関係であっても、以前からその人その人のキャラクターや人柄にふれることができていた。また、お互いのタイムラインで知らなかった人同士も、今回の会の前にプロフィールやツイートを読むことで、なんとなくでも人となりをイメージすることができたのではないかと思う。

楽しすぎた1日が終わって帰宅した直後、ウエチさんからグループDMに「またひとつ生きる理由をいただきました」とコメントが届いた。うれしいけれども、重い言葉だ、と思った。
また、ウエチさんは後日、奥さまについて書いたnote(私たちが集まる前に読ませてもらったものがベースになっている)を投稿した。
自分のnoteにウエチさんのnoteのリンクを貼るのはどうかという気もするのだが、ウエチさんのご了承を得て、ここにご紹介させていただく。

そこには私たちと集まった日のことや、また、ツイッタラーのイケオジの方々が企画された、もうひとつの「ウエチさんを囲む会」についても書かれていた。
なかでも、この一文は、強烈に胸に響いた。

僕が今生きているのは、ほかならないツイッタラーのお友達のおかげが多分にあるのです。

私がツイッターで、尊敬する人や友人、あるいはツイートを見るだけで楽しい気持ちになる人や、「自分もがんばろう」と励みになるような人がいるように、ウエチさんもまた、ツイッターの仲間をこんなに大事に思ってくれている。今回、ウエチさんにお声がけして、ほんとうによかった。ツイッターやってて、ほんとうによかった。

話が前後するが、ウエチさんがnoteをアップするよりも前に、8人のメンバーでごく当たり前のように、「あのつづきは、年内にやるよね?」的なムードがあり、こゆきさんが幹事を名乗り出てくれて、第2回目の会が決まった。その名も「ウエチさんとほっこり会」だ。また、あのあたたかくて優しい、暖炉の火のようなぬくもりにふれることができる。そう思うだけで、心がぽかぽかしてくる(暖炉にあたったことは、ないけれど)。

などと思っていたところ、予想もしない急展開が訪れた。
それは12月5日、田中泰延さん、上田豪さん前田将多さんのお三方による配信の第17弾『僕たちは だいたいみんな 覚えてない』でのことだ。

なんと、私たちのご縁のご本尊さまである田中泰延さんから、配信中(1時間9分46秒あたり)にこんな言葉を賜った。

「よく最近ね、ブログとかツイッターでね、『8人で集まって飲みました!田中泰延さんがつないでくれたご縁で…』、ってなんで俺を呼ばないんだ? 俺、ご本尊じゃないのか?(中略)呼んでくれたらええやないか、行くよ、俺、ほんとに。気になるなあ、まったく知らないところで行われてるから」

YouTube配信『僕たちは だいたいみんな 覚えてない』より

えっ…これって、私たちのことじゃん。薫さんがnoteで書いたことを読んで、田中さんがこう思ってくださってるのか。これは大変だ。もはや事件だ。誘っていいの? ていうか、誘わなかったのが失礼だったの? ほんとに来てくれるの? こんなにフットワークの軽いご本尊さまっている? いやいやご本尊さまって、東京都港区南青山に鎮座してるんじゃないの?
と動転した。そして思わず、薫さーん!こゆきさーん!ウエチさーん!と叫びたくなった。

さてさて、これからどうなるか。いや、どうしたらよいのか。「ウエチさんとほっこり会」はもうカウントダウンがはじまっている。
「田中泰延さんのおかげで…」がさらに深まりそうな予感がする、2024年の年末である。


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