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ユブネの往復書簡②-2

ユブネの往復書簡②-2
送り手 QUILL コピーライター 松本幸さん
宛先 ユブネ 山森彩

あやちゃん

こんにちは。往復書簡のお相手第1号にご指名ありがとう。なんてお返事しようか考えてるうちに、気づけばもう3月。出産祝いにおうちにお邪魔したのがもう1年も前になるのね。あやちゃんと、おっとりおだやかなご主人と、すやすや眠る娘ちゃん。日当たりのいい部屋に吊るされた、洗いたての小さな小さなベビー肌着。手作りの棚や使いこまれた道具が並んだ台所。なんだろう、すべてが「あるべきところに、あるようにある」ってことにジーンとして、ちょっと涙ぐみたいような感じでしたよ、おねえさんは。あやちゃん、いい顔してたもの。ああ、おかあさんだーって。

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ちょっと話がずれるんだけど、よく不思議に思うのが、「母性本能」という言葉はよく使われるのに、「父性本能」って聞かないよね、ということ。父性は頭で理解して身につけていくものだから、本能とは違うということなのか?
でも私個人の出産後を振り返ると、「本能」という言葉の力強さとは程遠く、迷ったり些細なことでクヨクヨしたり、かと思うと強がったり、どこか地に足がつかないふわふわした感じで、自分の中で「母になる」というプログラム組み換えは、ジグザグぶつかりながら時間をかけて進んでいった気がするのです。赤ん坊の我が子と向き合うことは、私にとっては、弱く未熟で身勝手な自分自身と向き合う修行でもあったような……。それでもやっぱり「こんな未熟な私を、こんなにも全身全霊で必要としてくれる存在がいる」と思えたことは、この上ない幸せでした。

閑話休題。
働くおかんとしてのここ10数年の道のり、あやちゃんに尋ねられて振り返ってみたけど、私なんてほんとうに、川の流れに流されるままに生きてきて、流れ着いた岸辺であれこれ楽しいことを探すのはわりと得意よん、みたいな適当人間。だから、理想像に向かって階段をのぼるように意志的に行動してきたわけでは全然なくって。
そもそもパリに行ったのだって、ただ流れに乗っかっただけだし、ただの子連れプー太郎主婦だったし。だけど、パリにいた10数年前のあの日。なぜか雷に打たれたように、「私は自力で何かをしなくちゃ」って怒りにも似た感情で思い立って、誰に頼まれてもいないのに猛然と出版社あての企画書を書き始めた。あの時のことは、今もあざやかに覚えています。Sのキーが壊れたおんぼろのノートパソコンで、出版社の知り合いなんてひとりもいなかったのにね。

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言葉もままならず風習も慣れないこと尽くしの海外生活は、ただ日常を生きるだけでエネルギーがいったけど、行き詰まるたびにたくさんの人に助けられてきたし、喜怒哀楽の感情もいちいち濃くて、1日を終えると「ああ、今日も生きた!」というような手ごたえがありました。貧乏だったけど、その分いろんな飾りを取っ払った先で、「ほんとうに大切なもの」に気づけた日々でもあった。そんな日々を経て、何かが私の中でマグマのようにふつふつと湧き上がってきたのかもね。今にして思えば、あれもまた私にとってひとつの修業時代だったのだな、と思います。
そのせいかな、36歳で帰国してから「以前より柔らかくなった・話しやすくなった」って言われたことがあります。20代の頃はかたくなで自意識過剰だったよな、って自分でも思う(笑)。

誰かの語る声に耳を傾けて、思いや記憶を引き出すこと。誰かの、まだうまく言えない混沌とした「感情」に、ことばで輪郭を与えて世に届けること。それが私の役割なのかも、って思うようになったのは、それぐらいからだった気がします。
私はどこかイタコ的というか、伝えたい思いを抱えた誰かに「通り道を貸している」という感覚があるのね。この世に生まれ出たいと思って出口を探しているエネルギーみたいなものが宙に舞っていて、それに私が産道をお貸しして、「見える・聞こえる・触れる」存在にする。コピーライティングの場合は、さらにそれを「時代の価値・生活者の価値に変換する」という作業があって大変だけど、だからコピー1本がもう、自分の言葉でありながら自分の言葉を超えていて、「ほんまに私が書いたんかな」みたいな。

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実際に自分の子どもを見てもそう思うもんね。生まれ出たいと思って出口を探していたエネルギーが、私という通り道を通ってこの世に出てきて、今や彼や彼女自身の顔やからだや心をもって一人歩きしている。でも、通り道であった私の「匂い」のようなものは、一人歩きしだした子どもにも、コピーにも、やっぱりどこかくっついていて漂ってるんだと思う。だから私は、その「匂い」に責任を持つべく、今日も喜怒哀楽をちゃんと感じながら、しっかり生きねばと思うし、あやちゃんが街中でポスターを見て「幸さんのコピーだ」って気づいてくれたという話、とてもうれしい。

天職のことを英語で「CALLING」というのだ、と知ったのは40代も半ばになってからです。そうか、「呼ばれる」のか、と。私は口下手だし、書くのも遅いし、言葉に関するセンスや才能がどうとかいう話になると、てんで自信がない。でも「気づいたら呼ばれていた」という感覚ならどこかあるなと思っていて。
あやちゃんはどうですか?何に、どんなふうに呼ばれて、自分の役割に気づきましたか?

またのお返事、楽しみに待っています。