つまらない大人にはなりたくない (New Recording)/佐野元春
今日はほぼこれしか聞いてなかったと言っても過言じゃないです。知ってる人はご存知のとおり、「ガラスのジェネレーション」を再定義したものになります。再定義にあたってタイトルも変えたということなんでしょう。「再定義とセルフカバーってどう違うの?」という気もしなくもないですが、当人が違うって言ってるんだからそうなんでしょう。まあそれはいいとして。
オリジナルの「ガラスのジェネレーション」と聞き比べとかもちょっとしてみました。なんというか、別物感があります。再定義とはよく言ったものです。たしかにそんなような気がします。
「ガラスのジェネレーション」の方は、なんというか、若い! って印象がありました。まあ実際若い時の曲だから、若くて当然なんですけどね。あれから45年。45? 44? まあそんなくらい時間が経って。歌詞なんかは同じですが、すべての言葉が違う意味を持って聞こえてくるように思います。
「ライ麦畑でつかまえて」って小説あるじゃないですか。有名なアレです。「ガラスのジェネレーション」を聞いて、それをちょっと思い出したんですよ。多分そんなようなこと言う人は多いと思います。ホールデン・コールフィールドさんでしたっけ。主人公の名前。たとえば、歌詞の中の「君の幻を守りたい」なんてのは、そのホールデンさんを想像するわけです。「ガラスのジェネレーション」だと。ぼくだけですかね。
で、今回のやつだとどうかというと。ぼくが聞いた感じ、ホールデンさんというより、かつて「ガラスのジェネレーション」を歌っていた自分自身……みたいな気がしたんです。要するに若い頃の自分ってことですね。その変化がどう作用するのか、ていうかそもそもそんな風に感じる人がどれほどいるのかもわかりませんが、なんかね。違うなーって思ったんです。
珠玉のパンチライン「つまらない大人にはなりたくない」。ここもね。なんか違って聞こえました。「ガラスのジェネレーション」の頃の佐野さんって、23とかそんなんですっけ。それが今や68とかですよね。そんな大人の中の大人をさらに通り越したような年の人が「つまらない大人にはなりたくない」って叫べば、そりゃー聞こえ方も変わりますよね。
ぼくも今はすっかりおじさんで。まあ年齢的には大人なわけです。今がつまらない大人かどうかはよくわかりません。仮に今、つまらなくない大人だったと仮定して。明日にはつまらない大人になってる可能性があるんだと思います。逆に、今つまらない大人だとしても、明日はつまらなくない大人になれる可能性もあるんだと思うんです。要するに今現在の決意というか意志みたいなもんが大事なんかなーと。そんな風にちょっと思いました。
つまらないの反対って……おもしろい? ならぼくも、明日からおもしろおじさんになれるようにがんばりたいです。いや……「おもしろおじさん」って言うと何かこう……イメージが……すでにつまらない大人の沼に浸かりきってるんでしょうか。