ヒーローになりたいゆばたりあんはわかりやすい勧善懲悪が好きだった
私が幼い頃の勧善懲悪といえば「水戸黄門」である!!同世代の子が「アン○ンマン」とか「セーラー○ーン」を見ている頃に私は時代劇を見る渋い子どもだったのだ。(というかなぜ○)もちろんアン○ンマンやセーラー○ーンも見たことがあるし、ストーリーもわかりやすいし、悪を叩きのめしてくれるから面白い。しかし敵がなんとも憎めないのだ。悪いことをしているのは重々承知だが、敵役なのに可愛らしい姿や悩みが垣間見えるとえ??倒して大丈夫?更生できるのでは?と考えてしまう。
なんならたまには勝たせてあげてはどうだろうかと思うほどだ。
さらには朝にやっていた(今もやっているのだろうかテレビを見ないのでわからないが)ヒーロー戦隊たちの戦いも幼いながらに疑問であった。こちらは敵役が憎めないということではなく、ヒーローも一緒になって街を破壊し街の人たちは無事なのだろうか、復興には税金が使われているのだろうかとヒーロー側にも疑問を抱いていた。変な子どもである。
「水戸黄門」の敵はあからさまに「悪」である。いや、敵役の人物の辛い過去とか背景とかもあったかもしれないが覚えていないのは悪しからず。そのくらい私にとっては「悪」が強かったのだろう。
私にとっての水戸黄門は佐野浅夫さんである。いつもクシャっと笑う顔でおちゃらけた感じが好きだった。私がもし「悪」だとしたらこのおじいちゃんがヒーローだとは思うまい。
そして何よりわかりやすかったのが悪党成敗の時間。毎週毎週20時45分に格さんと助さんが戦って謎のおじいちゃんの正体を明かし、土下座させるのだ。(土下座させているという表現が正しいのかはわからない(笑))これがまたもや快感である。実際の水戸光圀がどういう人物であったかは詳しくは知らないが、ドラマの中のおじいちゃんはまさに悪の部分がないヒーローに感じた。
今はマーベルやDCコミックスのヒーローたちが好きだが、最近のヒーローたちは完全な善ではない……気がする。そこがまた良いストーリーになっているし面白い。悪が元は完全な悪では無かったようにヒーローも元をたどると完全な善ではない。人にもそれぞれそんな面があるよねって言っているようだ。
時代の流れとともに勧善懲悪の傾向も変わってきているのだろう。
書いているうちにまた水戸黄門を見たくなってきた。