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+82 #15 : ことしの誕生日
三が日も終わって、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」なんて言葉をこれからたくさん耳にすることになりそうだ。
そもそも年明け「もう2025年かぁ…」なんてことよりも、ここから5月とか春の終わりまでが一瞬であることにビビりまくっていた。
あとちょうど一ヶ月くらいで21歳になる。
ああ、毎年言ってるけど、本当にこの間まで15歳だったのに…。早生まれなので、15歳といえば高校1年生のほとんどだ。この間までFJKだったのに…。高1が学生生活で一番頭の底(とは)からバカやってた自信がある。あれから6年?まじかー
というわけで、年末年始孤独に苛まれた私が次のイベントである誕生日をどう過ごすのか。
去年はたまたま日にちが重なってサークルのお友達とご飯に行きサプライズでお祝いされた。一昨年はバイト先の社員さんの家でもつ鍋パーティーをして、寒かったけど野田〜梅田をゆるーくお散歩したっけなあ。
まあ昔のことはいいんです、一昨年の誕生日のことすらノーヒントで何も思い出せなかったもの。そんなもん。
今年は、自分の初めての韓国人の友達Yが大阪に遊びに来てくれる。そしてたまたま、自分の誕生日に。
この子と出会ったのは確か中学2年生のときだった。
大きい手で小さいiPod touchを使い潰していた中学生の私は、ちょうど韓国にハマりかけていて、今や出会い系アプリと言ってもいいくらいの言語交換アプリ「Hello talk」で韓国語を学んでいた。私は翻訳アプリとHello talkを高速で往復しながら同様に日本語を学んでいる韓国人とたくさんメッセージをしていて、そこで出会ったのがYだった。
やっと会えた!
コロナ禍もあり、私とYが初めて対面したのは2023年の2月だった。
Yのお父さんは東京で単身赴任をしていてお父さんに会いにひとりで東京に行くとのことで、私は速攻東京まで行くことにした。
インスタでお互いの顔は知っていたものの、やはり実際会うとなると緊張した。上野駅の端っこのスタバで待ち合わせた。
その時点でもう出会って6年くらい経っていたけど、会うのは初めて。でもその6年の間にたくさん話した時間は伊達じゃなかったのか、気まずさなんて一ミリもなかった。なんの約束もしていないのに、お互い同じくらいの価格帯のプレゼントを準備してて、道のど真ん中で交換したのはいい思い出だ。その日は上野動物園に行って、浅草に行って、そのまま歩いてスカイツリーに行って。ど定番東京コースだったけれど、私も東京に行くのは久しぶりだったし、こんな観光コースを巡ることもないからとても良かった。紹介できるくらいには日本のこともっと知らなきゃね。
次は韓国で
その次の年の夏、私たちはソウルで会った。
Yはソウルに住んでいるわけではないのでバスで2時間ほどかけてソウルまで来てくれた。小さなゲストハウスで3泊4日一緒に過ごし、いろんなところを回った。
Yは日本語がとても上手になっていた。景福宮を回った時は、日本語でガイドをしてくれた。そもそも知識があるのがすごいし、普段使わない単語ばかりなのにそれをわかりやすいように日本語で説明してくれた。なんかもう圧倒されすぎて、こちらも韓国語を使うことを忘れていた。
最後の夜は4時くらいまで二人で面白い動画を見たり、恋バナをしたり、お互い発音の練習をしたりした。
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あっという間に朝は来て、駅でバイバイする時に、私は日本であらかじめ用意していた手紙を渡した。Yの大好きなジブリのレターセットで書いた手紙だった。Yはとても驚いていた。
東京では1日しか一緒にいれなかったけど、今回は3泊4日も一緒にいた。遊園地も行って、カフェも行って、銭湯も行って、夜景も見て。一緒に行ってくれてありがとう。
Yの地元で
2024年1月末。私はまた韓国へと飛んだ。
目的はコンサートだけれど、コンサートはたった1日なのに私は1週間も宿を取っていた。特にやることを決めているわけでもなかった。
帰る日の前日、ソウルも回り尽くしてしまった私は大田(テジョン)に行こうと決めた。大田市(正式名:大田広域市)の人口は2022年時点で147.2万人。ソウルから南に進んで、韓国のちょうと真ん中くらいのところにある。朝鮮半島をチーバ君と見たら、ちょうとおへその辺り。
夏にYが教えてくれた、聖心堂(ソンシムダン)という大田にしかない洋菓子店(有名なのはパン)を思い出した。そうだ、ここに行ってみよう。
ちなみにYは大田に隣接する都市に住んでいる。
私が今回の渡韓をYに知らせたとき、Yは予定が合わず会えなさそう…と言っていたのだ。とはいってもYの地元に近い大田に行くことにしたという連絡をすると、「アルバイト前の数時間だったら会える、お昼ご飯一緒に食べよう!」と言ってくれた。
そんなこんなでソウルから新幹線に乗り、10時過ぎに大田に着いた私はYと合流した。Yは聖心堂について来ててくれた。なかでもこのパンが有名なんだよ、お土産はこれがおすすめだよ、とか。Yも午後からのアルバイト仲間にパンを買っていた。
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時間はあっという間に過ぎ、別れ際、Yは私が夏に手紙をくれたから、とお返事の手紙をくれた。手紙は韓国語と日本語の両方で書かれていた。その中でこんなことが書かれていた。
「私たちが出会ったとき、お互いの制服を自慢し合ってたのがついこの間のように感じられるのにもう7年前のことだなんて、信じられないね」(私訳)
帰りの新幹線で手紙を読んだのだけれど、満席の車内の中で思わず泣きそうになってしまった。いや、泣いてたかもしれない、1年前のことなのに、もう記憶が曖昧だ。はぁ
夏に一緒に本屋さんにいった時、私が韓国で使われている歴史の教科書を探していたことが、とても印象的だったということも書いてあった。今まで歴史の話とかをすることに対してすごく慎重になっていたけど、オープンになってくれたことがとても嬉しかったようだ。オープンになろうと思ってそんなことをしていたわけでもないから、自然にYに対してオープンになれていたのかと思うと、私も嬉しい。
次は大阪で
Yとの思い出ばかり書いてしまったが、私は来月会えるのが本当に本当に楽しみなのだ(これがメイン)。
ちなみに自分の家にも泊める。
さすがに美味しいご飯をご馳走したいから、今のうちに最高のお味噌汁を研究しておかなきゃなあ。