集団
夏休みもいい感じのところまで来た。
帰省をし、旅行をし、合宿をし、また旅行をし…今年の夏はこんな感じである。
そして今は、最後(になるはず)の旅行へと出発し、思わぬ飛行機の遅延にはぁ…と思いながら搭乗口近くのベンチでPCを開いている。
とある合宿に行ってきた
詳しすぎる話はここでしない方がいいのかもしれないが、とある日韓親善活動活動で日本代表青年として秋に韓国に一週間程度派遣されることになったのだ。
これは別に本気で狙っていたわけでもなく、ただ友人に「これやったらいいんじゃね」と勧められ、「ま一発応募してみるか」と願書を書いた、そんなノリであった。
韓国派遣の前に、都内某所で4日間事前合宿なるものがあったのだ。
参加青年は全部で20名。下は18歳、上は20代後半。
これプラス、引率や通訳を担当する大人が5名ほどついている。
集団行動ひさしぶり
私は基本的に幼少期から初対面ばかりの場所でも特に物怖じせずに話すことができる。しかしこのような青年活動に参加するのがほぼ初めてであったので、未知の部分も多かったのが実際だ。
初日、引率の大人や関係者などなど約30名ほどが集まり自己紹介から始まった。さまざまなバックグラウンドを持った人がいたものの、転勤族の私からすれば特に圧倒されることもなかった。
そしてそれ以降の日程は、来たる韓国派遣に向けて係分担や全体目標など決めることが山ほどあった。
あえて突っ込まないのは自分のため?みんなのため?
大量の決め事に加えて、実際現地で韓国青年の方々とおこなうディスカッションの事前練習の時間もあった。私は人と話すことも考えることも好きだが、ディスカッションのような形式ぶった意見共有はあまり得意ではないし好きでもない。
集団という組織で行動する以上、ある程度の秩序を守って意見を交わすのは仕方ない、むしろそうしなければいけない。
でも私は正直、それ以前の違和感を感じていた。
(以下、ディスカッション慣れしていない人間の主張だということを念頭においていただきたい。)
人と話がヒートアップしていると、気づいたら論点がズレまくっている、全然的を射ていない意見をいかにもそれっぽく話している、なんてことはザラにある。
まあとにかく↑これらを、たくさん感じたのだ。
ディスカッションのテーマは日韓・国際社会共通の社会問題が主だったので、決して議論が難しい話題かと言われるとそうでもない。
ディスカッションの場というのは、本来疑問に思うことがあればどんどん突っ込んで聞いていいのではないかと、そう思っていた。しかし誰も何も言わないし、そのまま核心をあまり突いていないといえる議論をぬるぬると進めていくのだ。
しかし、かくいう私が「はいはい、ちょ、これってどうなんですかーー」と声をあげたのかと言えば、そうではない。私がここで口を挟むより、このぬるぬるタイムが続いてそれっぽく終わりよければすべてよしなれば良いのかとも思ったり、そんなことを考えている間に気づいたら10分15分と時間が進み、話題はどんどん次のフェーズへと移るのだ。
「私が切実に意見を述べてもどうにもならなそうだから、私は記録係の仕事を全うするか…」と心で思いながらフンフン頷くのだった。
ぬるぬるタイムって多くない?
ディスカッション練習が多く取られた合宿三日目の夜、私は正直人疲れしていた。特に自分が感化されるような刺激もそこまで受けられないまま、時間だけが過ぎていき、本来もっと使うべき脳みそをゆるーくながーく使ってたが故にじっとり疲れてしまったのだ。
そして人疲れと共に、思うこともたくさんあった。ありすぎて、友人につらつらラインをした。その時のトークから、自分が考えたことを改めてまとめようと思う(三日目の夜に考えていたことが、きっと自分のその時の正直な気持ちだと思うから)。
・あくまで、「親善事業」
こういう事業に参加するのが初めてだったのもあり、どれだけみんな韓国に関心があるのだろうとワクワクびくびくしていたが、蓋を開けるとそうでもなかった。みんなどちらかというと留学・海外生活経験が豊富な子が多くて、次はお隣の韓国、みたいなノリが多かった。社会情勢・問題に興味関心を抱いている子は想像よりはるかに少なかった。
・これが不思議で、いくら聞く姿勢を持っても、入ってこない話は入ってこない
公的機関の方が講義をしにいらしてくれたりと、合宿中はもちろん有意義な時間もあった。私は個人的に内閣府のお偉いさんのお話が一番面白かったのだが、前述したように社会情勢に興味を持っている子が少ないせいか、質疑応答でされる質問も、ディスカッションにおいても、なんだかごく当たり前のことを繰り返しているように、何かの文章を読み上げているように聞こえてならなかったのだ。失礼なことだとは思うのだが、どうしても同世代として、少し悲しくなってしまう部分があったのだ。
・楽がしたい めんどくさいことはしたくない ぬるぬるタイムの根源
「ちょっとくらいいっか」の妥協は、人間誰しもあるものだ。しかし、一体それを諦めてしまっていいのか?ということをケチったりハナから挑戦しない子が多すぎるのでは、と思う。
これは正直小学生時代時代から感じていたことではあるが、ペアワークを適当にやったり、何の抵抗もなくノートの貸し借りを行ったり…。
私だってニンゲンなので、サボることなんてしょっちゅうある。え、じゃあ何が言いたいかっていうと、もう少し、ほんの少しだけ、「ま、とりあえずやってみっか」「それおかしくない?」の精神が普及してほしいな、という話である。ぬるぬるタイムやめよーよー。
とは言っても
私がおかしいのかなと思うこともある。純粋すぎるのかもしれない。
もっと諦めないと社会は回らないし、お金も入ってこない、人の共感も得られない、良い地位にも立てないのかもしれない。
みんなが私と同じような考え方をしているって思うのもダメだし、かといって私みたいな考え方の人間しか存在しない社会であったらきっと資本主義は回らない。
みんなに期待しすぎた。というとまるで私が達観しているようになってしまうので、みんな色々過ぎた。ということで。
みんな色々すぎる集団、集団の集団、社会。社会学部にいるけど、もー社会は変な生物に見えて仕方ない。自分も社会の構成物なのに、それが何十何百と集まれば集まるほど制御不能なクリーチャーみたいになっていく!!
何の話だよ、落ち着けよ
ということで、なんか考え過ぎの捻くれ者投稿になってしまったので、ここまでにします。
あと一時間くらいで飛行機に乗れる。遅延で浮いた時間もうまく使えた、ということにしておこう。本来だったら、今頃離陸してたのに…。
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