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本当に作りたいものは一生完成しないんだ

私は幼少期の頃から絵が大好きだ。

というのはこちらから。

高校の美術科進学を諦め、美術大学への進学を諦め、普通の大学生になった今でも、それは変わらない。

何も考えずにペンを持ち紙に向き合っていたあの頃より、少しだけ絵は下手になっているかもしれないけれど、私が「無意識」の状態で何か向き合える、それは何かを描くときしかない。純度100%の私がそこにはいる。

周囲からの称賛との乖離

今も昔も変わらない。
いつもとは限らないけど、何かを描けば誰かしらが褒めてくれる。

もちろん褒められるために描いているわけではないし、私は自分が描いたものをあまり堂々と見せびらかすタイプでもない。かといって隠すわけでもない。

しかし、なんだろう。
みんなが「すごい!」「こんなの(名前)だから作れるよ!」と言ってくれるものは大概、自分にとって不完全燃焼の作品であったり、1日でほいっと作ったものなのである。

それが私にとって生きるということなのか果たしてムムム

もっと、自分が描く何かと闘いたい。
最近そう思うようになった。

ああでもない、こうでもない、あー!うわー!ぐしゃぐしゃ、ポイ!!!
(ポイ捨てはやめましょう)

そんな葛藤を重ねまくった結果物と出会いたいのだ。
もちろん相変わらず人の評価など必要ない。してもいい。勝手にしろだ。


むずかしい(だから面白い)

しかし、ぐしゃぐしゃポイを繰り返してばかりいれば時間は過ぎる。
自分に与えられた24時間を、全てそれに使うわけにもいかない。

紙を消費し、インクを使えば、また買い足さなければならない。
だけど、おいしいご飯も食べなきゃやっていけない。


なんだかんだ、私は中学生くらいから気づいている。

どんなにどんなに闘っても、自分が心からいいと思えるものは決して作ることができないということに。
そしてそれは、仮に私が不死身でも、不可能だということに。


ここ最近芸術をやっている友人と久しぶりに会って、自分ももっと闘いたいと思った。企業に就職して、お金を稼いで、それなりに暮らすことが、もはや逃げなのではないかとまで感じてきた。


もう少し考える。
けど前ほど考えるのはやめてみる。

あー、おでん食べたいなあ。


あまり食べ物で感動しない私が人生で一番美味しいと確信したおでん

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