小さい点がこっちをみている!
そいつは2024年5月、わたしのもとにやってきた。
まーたようわからん表現をしてますけども
小さい、小さすぎるタトゥーを入れた。
コロナ禍で気持ちが下がりっぱなしだった高校時代に見つけたとあるプロジェクト。藝大生が作品の一環として行っているもので、小さな小さな「点」を、自分の好きな部位に、好きな色で、いれてもらえる。
このプロジェクトを見つけた当初から「よし、大学生になったら絶対やってもらうぞ!」とワクワクしていたのだが、20歳にならないと誓約書にサインできないということで早生まれの私は大学3回生になったこの春、はるばる東京のアトリエまで施術を受けに行ったのだ。
点との生活
色はターコイズ、左手の甲にある。
春夏秋冬いつでも見える位置にいれようというのはプロジェクトを知った当初から決めていたことだった。
その「点」との生活も早4ヶ月。
施術後2,3週間は少し腫れているのかまだ生傷で、まだ自分の中に入っていない皮膚上に傷として訪問してきたものとしてその点を見つめていた。
瘡蓋も取れて、6月半ばに差し掛かる頃には完全に私の手の甲に包含されていた。
その点は、自然光のもとでとても綺麗に見えるのだ。
私はもともと自然光のもとで見る人間の皮膚が好きだ。細かなキメ、毛穴、静電気でくっついたほこり、全てが鮮やかに見えるからだ。
うっすら血管が浮かぶ私の手の甲の中央に棲むターコイズ色の点は、自然光を反射する空の色を凝縮したようにも見える(ロマンティックなことを言いたいわけではない)。
深い意味はないけれど
高校時代からタトゥー自体に興味があったわけでもなく、そのプロジェクトの考え方自体に惹きつけられ、気づけば3年半ほど経った。当日も特に迷い込むこともなく位置を決め、30秒ほどであっという間にそのターコイズ色の点は刻まれた。
よくシャーペンの先でカリカリされたような痛みとか言うけれど、確かにまあ言われてみれば…といった感じ。わずかな時間で皮膚のいくつかの層を感じて、「あっまだ大丈夫…うあ、深いとこ入ったな、おおお…」こんなことを考えていた。手汗っかきの私の手汗はギトギトだった。
点と私だけの世界
このタトゥーをいれることはあまり周囲には言わないようにしていたし、いれてからもあまり話題にするつもりもなかった。
もともと人目を気にする性格の私は、人間の皮膚からは生成されないであろう色の点がいつ会う時も同じ位置にある..と気づく人がいないだろうかなんて少し考えていたのだ。
実際(もちろん)、いなかった。
誰も人の手の甲なんて見ていない。指先には目が行きがちかもしれなけれど、手の甲なんて見ないようだ。
でもこうやってnoteを書いている私の視界には、その点はある。
その点は確かにそこにあるのに、誰にでも見える私の一部なのに、私しか見えていない。そんなふうに感じてしまうのだ。
特別な感じはするのだが、ワクワクするかと言えば、ちょっと違う。
点と私の二人っきりの空間は、なんだかキーンとしているのだ。
特に深い意味を込めていれたものでもないのに、なんだろう。
私の一部である点が、私を見ている。
まるで3つめの眼球がそこにあるみたいに。
よくわからんくなってきた!
これだけ色々書いたところで、多少薄くなろうとも、明日も明後日も死ぬまでその点は私として生きている。
実はこれを書こうとしたきっかけがある。
仲の良い友人には何人かこの点のことを話しているのだが、最近話した友達が私のこの点を見て「気になる、私もいれてみたい」と言ったのだ。
彼女は私のなかではそういうことに興味を持つようなイメージがなかったのでとても驚いたと同時に、なぜか嬉しかったのだ。施術者でもないのに。
とっても青い、わたしの目じゃない目をみて、何かが動いたのかなぁ、なんて。
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