アウトプットというけれど
今回、というより毎回、韓国に行ったり韓国人の方と1日話すような機会があるたびに、とても悔しい思いをしている。
それは何かって?
そう、メッセージや日記のような書き(쓰기)はサラサラとできるのに、いざ対面で人と話す(말하기)となるとなぜか脳みそが変わったかのように言葉が出なくなるのだ。
쓰기 writing はなぜある程度身についたか
これは自分の韓国語の全体的な能力が쓰기の能力と共に上がって行ったからだと考える。言語交換アプリで話したり、それこそコロナもあったので非対面で韓国語を使うことの方がこれまでほとんどだったからだ。
おかげでタイピングもかなり身についたし、会話中に翻訳で相手を待たせてしまうなんてこともだいぶ減った。
まあなんというか쓰기の力というのは、インターネットが完全普及した現代では韓国に行かなくても自国内でかなりの水準まで達せてしまうのだ。
しかし、そうではないのが말하기 speaking である。
말하기 speaking の難しさ
話し言葉と書き言葉は違うとよくいう。もちろん間違いではないのだが、私が抱える難しさというのはそういう話ではない。
対面で話すことというのは常に、非言語会話 non-verbal communicationを伴う。そう、お互いの顔が見えるのだ。
「あ、顔で日本人ってわかるか…」「あ〜さぞかし訪韓日本人らしく見えてるんだろうな…」なんて恐れながらいると、店員さんに超早口の韓国語を浴びせられたり、通りすがりの人に道を聞かれたりする。
文字に起こせばきっと翻訳もなく意味がわかるのに、超ネイティブ発音を繰り出されると、気づけばカオナシみたいな返事しかしていない。
そして私の中でお決まりの逃げ文句「죄송한데…제가 일본인이라서…(申し訳ないんですが私日本人で…)」を言えば「아…」とかすかな笑いと共に相手は英語に切り替えるorわかりやすい韓国語にしてくれるor諦めてくれる。
毎回この繰り返しと言ってもいいくらいなのだが、これはつまり、聞き取れない単語は使えない、ということではないのか、と。なんか高校の英語の授業で先生が言ってたぞ。
高校の時は、「必ずしもそんなことないだろ、私共通テストのリスニングで聞き取った単語英作文にさえ使えないけどな!?」と思っていた。
がしかし、ここに来て実体験。
ということは
もっと聞かなければならない!듣기だ〜〜〜
今このnoteを書きながら勝手に納得し始めた。
自分が韓国語を学習し始めた頃のことを思い返せば、
最初はハングルを読もうと頑張って→徐々に文章を読むこと(읽기/input)ができるようになって→自分で自分の気持ちを文字で伝えられる(쓰기/output)ようになった。
これを同じように当てはめれば、말하기(speaking/output)ができるようになりたければ、듣기(listening/input)ができるようになるしかないのだ。
あーあ、そうじゃん。note書きながら自己完結してしまったよ、ラッキー。
日本に帰るまであと2時間、帰ったらいっぱい聞こう。読むより聞こうっと
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