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下着がない!
突然だが、海外旅行のトラブルで地味にダメージが大きいのは何だかわかるだろうか。
地味に、というところがポイントだ。
派手にダメージが大きいことはいくらでもある。テロに巻き込まれたり、交通事故に遭ったり、騙されたり、時に旅行中にツアー主催の旅行会社が潰れることもある。
これを経験した友人N曰く、
「人間、何が起きたとしてもいざとなれば何とかなるもんだよ」
達観していた。
逆に地味なのはと言うと、ロストバゲージはなかなかのクオリティだ。
出発地で預けた荷物が到着地で受け取れない。これがロストバゲージだ。
昨夜遅く、ほとんど早朝に近い時間に私たちはホテルに落ち着いた。深夜のこと、ホテルのフロントは閉ざされていて中に入るのも一苦労だった。起き出してチェックインを受けてくれたホテルマンには感謝しかない。
疲れた体で九時に何とか起き、眠い目をこすりながら空港に電話をした。
ロストバゲージの件を問い合わせなければならない。まだ見つかっていないようだった。
朝ご飯を流し込み、その後ベッドの上にヴェネツィア市の地図を広げた。
荷物をなくされているので旅行ガイドの一つもない。
フロントで貰った地図はイタリア語と英語の表記のみがある。読解力に不安がある私たちには心許ない地図だったが、頼れるものはこれしかなかった。
地図で探すのはお店だ。日用品を売っているお店だ。
荷物がないということは、身の回りのあらゆるものがない状態だ。
歯磨きくらいならば、いざとなればお口くちゅくちゅで我慢ができないこともない。ドライヤーがなくても何とかなる。
困るのは着替えがないことだった。
特に下着だ。
想像してみて欲しい。シャワーを浴びた後に下着を変えられない。これがどんなにおぞましいことかわかるだろうか。
荷物がいつ見つかるか今のところ不明で、見つからない可能性もあった。
そうなるとこれが何日も続く。ぞっとした。
なので今朝一番にしなければならないのは、下着を売っている店を探すことだった。
しかしヴェネツィアと言えば、世界に名だたる観光都市である。
地図のどこにも下着のしの字もなかった。もっとも下着屋の英語もイタリア語もわからないから、見落としている可能性がないでもないが、とりあえず目につくのは土産屋、飲み屋、レストラン、教会だ。
とは言えヴェネツィアにも人は住んでいる。車が入れないから住人には足がないはずだ。市内に日用品を売っていないわけがない。
「とりあえず出てみる?」
友人Nが地図をたたんだ。
うなずいて私も立ち上がる。
ホテルを出ると、あたり一面霧が包んでいた。空を見上げるが、晴れているか曇っているかもわからない。冬の霧は冷たい。
おぼろに浮かび上がる古い街は、何かのポスターであるかのように美しかった。石造りの橋がしっとりと濡れていて、そこからのぞき込むと、霧の中に水路に面する灰色の建物が白く掠れる。
それらを眺めながら私たちは歩み出した。
下着を求めて。