睡眠について
思い返せば何もかもが夢のようだった。これまでの旅程では奇妙なことが続いた。飛行機の乗客たちの不思議なテンションに、いつまでも目的地に着かないバス。二時間も猛スピードで走って着いた場所が出発地なんて、どう考えてもありえない。夢でもおかしくはない。何しろ寝ていない。
多くの人は海外旅行の際飛行機の中で睡眠をとる。
また多くの人は到着すると時差ボケに悩まされる。
今回の旅行前に思いついたのだ。飛行機の中で寝なければ時差ボケは起きないのではないか?(仮定)
それを証明しようと、成田からパリまでも、パリからヴェネツィアまでも私は眠らなかった。およそ二十時間以上だ。出発前に起きていた時間も足せば、三十時間近く起きていた。
頭がどんよりと重く頭痛が頭の上半分を覆っていて、かすかな吐き気さえする。耳鳴りもする。手足は感覚がなく、寒いはずの冬の気温も全く感じられなかった。
眩暈と全身を包む鈍い痺れと、ここに居ないような感覚。寝不足が極まると体調は絶不調になる。
時差ボケとどちらがマシだろうか。言うまでもない、時差ボケだろう。少なくとも時差ボケは吐き気も頭痛もしない。明らかな失敗だった。
何故最初に気がつかなかったのか。いや、まさか三十時間も起きる羽目になるとは想像もしてなかったからだ。しかし確かに到着は六時間ほど遅れているが、二十四時間眠らなかったら快調だったろうか。否。ヴェネツィア行きの飛行機の中からずっと眠かった。頭痛もかすかに始まっていた。はじめから無謀だったのだ。
「疲れたね……」
同行の友人Nがこぼす。
「荷物みつかるといいね」
そう言えば荷物もなくなっていた。こんなにおかしなことばかり重なるものだろうか。
物の本によると、人はネガティブ思考になると悪いことを引き寄せるらしい。ネガティブ思考の元は脳の疲れだ。睡眠不足など大敵だ。
としたら、一連の出来事は全部私の睡眠不足のせいか?
深夜二時前、ヴェネツィアの空港からタクシーを使った。バスではなかったせいか、今度こそは無事にヴェネツィア市の入口に着いた。しかし市内は車の乗り入れが出来ない。そこからは水上タクシーでホテルまで行く。ホテルに着けば眠れるはずだ。
モーターの音も水をかき分ける音も、静かな街に響いているはずだが、どこか遠い世界の出来事のように感じるのも睡眠不足のせいだろう。
あと少し、あと少しで着く。きっと眠って起きれば体調不良もネガティブ思考も吹き飛び、元気いっぱいで今日のことを振り返って様々な謎をクリアな頭で解明できるに違いない。
水上タクシーが泊まり、荷物が船から運び出された。
礼を言いチップを渡してホテルの玄関まで荷物を引きずる。
ホテル・マリブランは降りてすぐのところだった。
ドアが閉まっていた。
ノブに手をかけて押す。動かない。
引いてみた。動かない。
全力で動かしてみた。びくともしない。
扉には鍵がかかっていた。
時刻は深夜二時。
ベッドが遠かった。