見出し画像

真の深刻劇場はここでした、親子の絆って。未だ自問自答してます。 2

私はわが子にはやさしい言葉をかけられない保育士でした

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


私は保育専門学校を卒業してからずっと同じ
社会福祉法人の保育園に勤めていたのですが

男女雇用均等法が施行されたころに勤め始めたわたしの時代。

まだ産休はあっても育児休暇をとって常勤でお仕事する人はなかなかいない頃でしたが

それでもかなり早くから結婚しても、出産しても働き続けることに、理解を示してくれる保育園でした。

私は当時、

園の中で初めて一年の育児休暇をもらい、
そのあと復職することができていました。

子どもの病気などにもかなり理解してもらっていたうえに
母親のサポートもあったため
仕事をしていく上で両立に悩むということもそれほど考えずに仕事をしてこれたわけです。

今思っても
なんて職場環境に恵まれていたんだろうって思うんですよね。

ただ、それでも

夜に及ぶ会議なども週のうちに数回あったりしますので
その間は

やはり、近くに住む母がお迎えにいって預かってくれていたのですよ。

週に数回、私も子どもも実家でご飯を食べて、子どもたちはお風呂にいれてもらって帰ってきてました。

なんてありがたいことなのでしょう。

でも、これをどこか「あたりまえ」と思っていました。
とことん感謝のないわたしです。


△▼△▼△▼△▼△▼

話を戻します。

長男が二回目の高校一年生の二学期がはじまりました。

毎年、いや、毎月、毎日なのですが
この9月という時期、
仕事がどんどん順番に流れるように押し寄せてきます。

0歳児クラスの主担任だったわたしは
通常の保育業務以外に

新入児の面接と準備と
毎月の書類の提出と
毎日の保育からの夏の疲れと
運動会への取り組みと
バザーの準備

などなど。

もろもろありますね。
普通です、普通・・・・毎年のこと。
と思ってました。

職場である保育園は朝7時から19時まで開園していますので

ここをスタッフの時差出勤で乗り越えても
クラス担任全員がそろって会議をはじめるのは19時以降ということになるんです。

これも、普通ですふつー。

でもね

毎度こんなふうに仕事ができたのは
やはり母のおかげだったなあ・・・

そんなわたしはというと

夜中遅くまで仕事や用事を片付け

5時半に起床
洗濯ものを干す。
長男のお弁当をつくる。
準備をして起こす。

ヨロヨロと起きてくる

ご飯を食べる

次男を起こす
起きてきてご飯を食べる

バタバタと洗濯・片付けながら夕食の支度をして
自分の準備をする

8時50分出勤の私は
最低8時には家を出なければいけません

その10分前に
「今日、学校行けない」と長男に言われます。

わたしはというと。

・今から電話する時間さえないよ
・自分で送っていく時間もないよ
・なによりじゃあ、朝から弁当作らせないでよ
 寝たかったんだよその分
・行かないとまたお父さん(主人のこと)に私が色々言われるのがいやだ。
・もう今度留年したらどうすんだよ。
 (お先まっくらとしか思えなかった)

↑このイライラと
仕事に間に合わないかもしれなくなる気持ちに拍車をかける

ので

朝から玄関でちょっとした修羅場になり
時にはもみあいになりながら
ひっぱりだそうとしたり(無理)

そんな中、長男はどんどん病んでいき

朝唐突に鼻血をだしてたり
吐いたりするようになりました。

にもかかわらず

私はそれでも学校に行かせたかったのです。

そんなさなかのある日

いつものように朝、とっくみあう私と長男の横で
次男が言いました

「僕も やすみたい。」

ぶるーたす、おまえもか・・・・(違)

ガックリ_| ̄|○ il||li
腰砕け状態になりました。
もう職場も間に合わない汗


その頃次男は
運動会の練習が辛くて(あまりスキじゃないのね、運動ね)
かなり切羽詰っていたようです。


・・・が

そんなことになっていたことは後々わかりました。
毎日の長男との格闘に疲れ、
次男のそのようなことは当時、全く感じてもいない私でした。


もーどうすんのよこれ・・・・
という気持ちしかなかったのです。


長男は自ら心療内科に連れて行ってほしいといいました。


彼自身もギリギリのサインをここで出しているわけです。

次男もここで「自分も言わないと・・・」と振り絞っていっているわけです。


私は誰にも耳を貸しませんでした。
どうしてかというと

わたしは
「ちゃんと子育てができる保育士」という肩書きのほうが
当時大切だったんです。

もう、なにがあっても
それを演じ続けなければ。

そんな状態になったこどもなんて、
見せれるわけありませんってな具合でした。

鬼だ、鬼・・・。

でもさすがに二人を置いて仕事には行けません。
(というか、心が折れました自分で勝手に心を折りました)

この日は仕事を休みました。


そして
この頃の私の
自らの心を
しずめる手立ては(鎮まらないけどね)


相手にに責任をなすりつけること。
なので
私は二人に言いました。


わたしが仕事できなくなったらどうすんの
あんたたちみたいなのがいるから
わたしが仕事にいけないんだ.。

学校いくってあったりまえやん
行けばいいだけやん
なに甘えてんの?
わたしだってずっと学校いって気楽にしときたいわ。


もともと私はいつも
自分の物事がうまくすすまない原因を
一番弱者である子供たちのせいにしていきがちでした。

あのときの二人の顔は
忘れられません

なんで
あんなこと言えたんだろう。

言ってはいけない言葉だっていうのはわかるんです。

でも、自分の都合を考える言葉しか口からでてこない。
子どもたちを傷つける言葉しか出てこない。


あんたたちみたいな子がいる
保育士なんていないんだよ
なんでわたしだけこうなるのよって
イライラしていました。


当時、わたしに大切なのは
子どもたちの追い詰められた状況どころではなく

自分がまわりにどうおもわれるか。

「ちゃんと子育てもできない保育士」というレッテルを
貼られるということが
(実際貼るのは自分なんですけど)

何より怖くて、隠さなくては、なんとか学校に行かさなくては。

頭の中はそればかりでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?