死んだらええねん!って死んだ人に叫んでも 5
相手に復讐にしても自分はしあわせになれないのだけどのはなし
※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。
恨みや怒りはくすぶっていると
絶対に消えることはありませんね。
と他人事のように当時を回想しています。
△▼△▼△▼△▼
以前お話した主人が亡くなった際に息子から差し出された携帯と
「おんな、おんでー」 のお話から。
そのあとは
お葬式やら
書類提出やら
お金がなかったりやら
もう本当に
毎日のやることに翻弄されてはいましたが
常に、いつも頭の中にあった上
旦那への怒りとともに
どんどん膨張する思いは
「旦那の彼女に対してへの怒り」
そして
日がたつにつれ、旦那への怒り以上に
どんどん激しく燃えることになっていきました。
△▼△▼△▼△▼
話をちょっと戻しますね。
主人が亡くなった日。旦那の携帯には
着信が2回入っていたのです。
もちろんその女彼女からだったのですが
そのうちの着信履歴の一回は
私たちが病院に駆けつける前に「誰かが」出ていたということが
葬儀などが落ちついた数日後、
携帯をみなおしたあとでわかりました。
私の知らないところで
起こっていたことがあったのですが、
それはまた違う機会にお話しますね。
主人への憎悪の根源は
部屋からでてきた写真・ビデオはもちろん
おそろいの陶芸の名前入りマグカップ
以外にも
彼女の名刺
光熱費の領収書←払ってたのかーボケナスー
そして
ロックのかかってなかった携帯を見てみると
・彼女の両親へのお礼?メール(意味不明)
・彼女からの「見てみてーギャルメイクしてもろた」
という「しあわせそうな」メール
(頭が狂いそうになるんですけど)
・「今日はHなしかあ」「Sちゃんかわいいなあ」
私の知らない世界にいる旦那と彼女のメールのやりとり。
棺桶もっと蹴っときゃよかった。
もうさ。
「こんなかわいそうなあたし」が「死人から受ける」こんな侮辱どうなん?
って思ってました。
汚いかっこで育児も家事もして
髪ふりみだして仕事して
(自分で好んできてたけど)
ユニクロしか買えなくて
(はいらなかったんだけど)
いつもギリギリで必死で必死で生活してたときに
この女はーーーーーーーーーーーーーーーーーつ
(怒りついにそっちにいったか)
あぁ…
この深い深い怒りと悲しみと妬みと嫉妬と
(同じじゃないか)
この「心の闇」にさいなまれていた期間。
今考えると
「自分一人で主人に怒りを表出して、ものを処分した」ことは
一時の気晴らしであり
根本的なものでは全くないのですから、
毎日「眠る前にその状況を思いかえして」怒りを募らせて
眠れず。
まんじりともせず夜になると
「人を」「自分の運命を」
呪ったり。(怖い)
「絶対に自分に同情してくれる」人に「だけ」話すことで
さらに「かわいそうな自分」をどんどん増長させたり。
怒りにまさに翻弄される中で
「相手への憎悪」だけが大きく大きくなっていき
その結果はというと、
気持ちの操縦ができなくなる状況になってました。
まさに「制御不能」やわ。
こうなると
「感情の赴くままの衝動的な行動」に結びつくよね。
(なにその今だからって冷静な振り返りって感じ)
でも、しみじみ思う。
恨みが原因による犯罪って
こんな心理のプロセスたどってるんやろなあって。
△▼△▼△▼△▼
私も当時、その例に漏れてはいませんでした。
自己弁護するつもりないです。
当時「やらずには」いられなかったです。
当時やってしまった・やってしまおうと思った旦那の彼女への怨念の復讐劇(しかも今思うととてもしょぼい)
※かなり読みぐるしいんで(そんな言葉あったっけ)不快になられる方も多いと思います。
嫌な気もちになられる方はすっとばしてください。
その1
旦那の車を査定して売ってしまおうと車屋さんに来てもらう前に車の中をみたら
・彼女につくってもらったらしいお弁当箱
・バトミントンセット(子どもとはしない)
・誰?知らない?女性の写真・・・・(これは彼女ではない!謎なまま(笑)
・たぶん彼女の私物であろう小物類。
…がいっぱいトランクからでてきたので。
これを彼女本人の家のまん前に思いっきり捨ててきてやろうと
グーグルマップで家をつきとめるところまで敢行。
(住所は光熱費の領収書でつきとめていたドクロ)
ところがその「犯行」は
(亡くなったときから置きっぱなしだった)主人の会社の駐車場まできて見積もりしてくれた車屋さんが
その場で車を引き取ってくれるということになり
とてもご親切に
「あ、じゃあ、車の中のゴミも捨てときますねー」
…とそのまま「怒りの廃棄物品とともに」乗って帰ってくれてしまった。
よって「犯行」には至らず。
今となればどう考えても・・・・
…な話です。
その2
当時はじめて偽名ではじめたフェイスブックで
捜索した私、
ついに彼女のアカウントを発見。
そこでわたしがしたのは
自分のアカウント名を
主人の本名にし、
しかもトップ写真に「主人のアップ画像」をたくさん掲載して
彼女に友だち申請した
恐すぎる。
のち、彼女はフェイスブックを辞めていました。
当時自分のことでいっぱいいっぱいというよりは
恨みや妬みのエネルギーだけに
力を注いでた私は
本当に醜かったと思います。
このころそういえば
長男に言われたことがありました。
おかん、あのときな、おとん死んでてよかったなて思うことあんねん。
ヘンに助かってたらなー
(彼女と)病院で鉢合わせもあったし
そうなったらたぶん、おかんさー
(彼女のこと)キレてどついてるやろ?
そんで、おとんのチューブとか引きちぎってたやろ?
…
わーわー
いやいやいや、さすがにそこまでせんわ。
…
せん?ほんまに?
長男の言うこと。
否定できなかったですよ
ってかほんとにそれやってたら本当の犯罪者だ
さすがにそんなふうに塀の中にははいれない。
もっとながーくじわじわと真綿で首を絞めるように
…。
いや、ほんまに怖い。
今「真綿みたいなしあわせ」にくるまれているんですけどね?
こんな私にそこからなにがあったのか。
憎しみや怒りを手放していく私は
本当にいろんな段階を経て、今を生きています。
そのお話に到達するまで、もう少し
「人生の回り道の話」におつきあいくださいね。
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