お金がない・50円玉ふたつになった朝わたしがしたこと。 7
依存も孤独も手放す課程はまず行動を起こすことなのかも
※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。
こんなふうに毎日をすごしながらも
仕事にいけなくなってから
ポツリポツリとなんとか自力で心療内科を受診していました。
仕事ができる状態にはなれなかったのもありますが
なにせ、仕事をやめたころはそこまで自覚がなかった割には
日毎に「眠れている」という感覚がなくなっていき、
(ずっと運動不足だと思ってた。)
さらに主人の件が重なったことも手伝って
泣いたり怒ったり、無気力だったり、突然消えたり
(風俗面接も当時何も言わず出かけてたんで、消えたかもと心配かけたようです。)
私は自分では「気丈」に生きてたつもりなんですが
ハタからみるとどうも「危ない」状態だったんでしょうね。
でね。
つまり、退職の理由が「精神状態の病気療養」であること。
この状態であると申請することで
「傷病給付金」というものが支給されるという制度を
知りました。
一年半もの間、お給料の8割をいただけるというのです。
(゚ーÅ) ホロリ
これを教えてくれたのは
退職した職場の関係の方でした。
退職後に私に起こった話を聞いて、
もうギリッギリになってる私のもとに
書類をもってあらわれてくれたんです。
駅前の喫茶店で、待ち合わせて。
わすれもしません、コーヒー奢ってもらったんです。
そして、持ってきた書類を出して
「ここにこうかいて」
「ここをこうして」
「ここに印鑑おしてね」
まるで神様に見えました。
そう、このころ家でぐっちゃぐちゃになったまま
書類に自分の名前さえも書けなくなってた私。
「ここにこうやって書いてね」って教えてもらったら
…書けました!(涙)
こうして、このあと家に帰って粛々と
書類を提出できるようになったのです。
わからなくなったら、主人の会社に電話をかけて。
そう、ちゃんと連絡先も教えてもらっていたのです。
ひとりでなんでもやらなきゃ。
こんなこと聞けない。
そこにいても何も変わらないなら
なにか行動起こすしかない。
こんな状況ではありましたが、僅かにわたし、あの時何かをつかみました。
最初は依存かもしれない。でもそれあかんのかな?
そこから。
退職後1年半給付金をもらったあとからさらに、
病気が治って求職活動ができるようになるまで
失業保険の受給延長ができることもわかりました。
あと
すっかり忘れてたことがありました。
わたし26年も働いてたので
「退職金」あったんだった。
出るのはすぐではないし、ちょっと先だけど
ほんま、ほんまそれどころじゃなくって
忘れるなって感じやけど、ほんまに忘れてた。
ほんとにその時まで
全く過ぎりもしなかったー・・・・・・(゚ーÅ)
これでなんとかごはんは食べれるわー。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
借金の返済額にはほとほと及ばないけど
もうおつとめ品待ってたら廃棄処分とかじゃなくって普通価格のもやしくらいは買えるよー
…って思いました。
駅前の喫茶店で申請書の作成をしてもらいながら
わたしは主人の大変な借金のはなしをポツポツその方に聞いてもらいました。
3500万の「自分の知らないところで勝手に作られて死なれた借金」を
私が払うものなのかどうなのかもわからないんだーって。
ここで私が話した一件が
その後3500万完済への道を大きく開くことになります。
人にしゃべってもしゃ~ないとか
人に話すことじゃないとか
このころいつも思いがちだったことを
どうして手放せてポツポツしゃべれたのか今も不思議だけど
助けてほしかったんでしょうかね。
しゃべってどうにもなることじゃないけどって思いながら
話した覚えがあります。
あの時ごちそうになったコーヒー
苦かったけど、美味しかったなあ。
△▼△▼△▼△▼
そもそもなんでこの旦那が作った借金を
私が返さないといけないか?とも思いますよね?
借金の返済額については
みてお分かりのとおり懸賞当てた程度
で引き寄せられるものではありませんでした(苦笑)
だけど
とりあえず
28円のもやしと納豆は買える生活はゲットしました。
というところで
50円玉ふたつになった状態からの脱却でお金がないよ編はひとまずおわります。
そして。
「主人がこさえた3500万円の借金をどうやって返したか」という内容にいく前にね。
旦那の死からのドロドロ愛憎の日々のことを綴りますね。
いっぱいあるな~って思うでしょ?
まだまだあるんです!
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