落合陽一という変態は、私を新たに羽化させる
私が見たい世界の姿を、日本で実装している人がいる。
魔術師との出会いは、美容室でおもむろに出されたファッション雑誌だった。
私は美しい物がとにかく好きだ。だが、所謂現代美術やメディアアートには懐疑的だった。商業主義や狙いすぎた特殊性は、わずかに臭うだけで私の心を萎ませた。
どれもこれも退屈だ、私の好きはココにない。仕事帰りの疲れた体で、ぼんやりとページを捲っていくと、 突然、強烈な美しさに目を奪われる。
計算機自然ーー。
美しい!この日本に、この世界観を、芸術として現すことができる人がいるのか!滑らかな球体が浮遊している。美しいモルフォ蝶は本物ではなく機械仕掛けだろうか?そんなことはどうでもいい。生も死も過去も未来も飲み込むような、鮮やかな陰影。私は食い入るように雑誌のページを読み込んだ。
この美術品を作ったアーティストは誰? 落合陽一。筑波大学で教鞭をとっているメディアアーティスト?まだ20代!?不思議な経歴だ。この展示を見なければいけない。彼が書く『デジタルネイチャー』も『魔法の世紀』も、今すぐに読みたい。迎えた休日、私はその二冊を抱えて部屋に閉じこもった。
ーーこういう時、私は友人らに驚かれるほど、悪魔的なヒキがある。
この後わずか数ヶ月で、私は落合陽一さんご本人と直接会う機会を得るのだった。社内勉強会の特別ゲストとして、落合さんが招かれたのである。
「はーい、どーもどーも。落合ですー。ちょーっと通してねー。はいどーもー」
あの緩いテンションで、落合陽一さんが、隣を歩いている!噂通り全身ヨウジヤマモトなのだろう、真っ黒な服装だ。デフォルト設定で眠そうだ。どうやらこちらも噂通り、本当にあまり寝ていないらしい。iPadに投影されたスケジュールが分刻みでビッシリ埋まっているが、落合さんはそれも嬉しそうだった。とろんとした瞳でへらりと笑った落合さんは、あの美しい静謐な世界とアツい志を持っているとは思えないほど、随分と可愛らしい印象だった。大変なんですよーといいながらも、学生達に求められるのが嬉しいのだと思う。心根がとても優しい人だと思う。
やがて、ニコニコしていた落合さんが「さて、はじめましょーかね」と、これまた緩く言った。すると空気が変わった。言葉の洪水だ、まるで嵐だ。ご自身の研究の話になったら、物凄い勢いで喋りまくる。You Tubeデフォルト設定3倍速。上司の顔をそっと伺うと、完全に引いている様子だ。(後で聞くと、落合さんのことはよく知らなかったらしい。部下の我儘に付き合っていただきすみません)
目の前で繰り広げられるデジタルネイチャー論。そして私が強く強く共感する、古典とデジタルを行ったり来たりする思考。聞き手を妙に惹きつける”魔術的”な話法。これからの世界を創る上で、なにが重要なのか。現代の魔術師は、遠い先の未来への扉を私達の目の前に見せた。私もプログラミングという小さな杖を手に、彼のように上級魔法を唱えられるようになりたくなる。この頃の私は、今になって思えばまだ「メラ」や「ホイミ」を唱えるのが関の山だった。それでもレベル上げを頑張れば、ゲームを超えて「バハムート」を召喚できるかもしれない!
私は興奮の坩堝の中で、現代の魔術師の話をひたすら聞き続けたーーーー。
それから程なくコロナ禍が世界を覆い、魔術師に開かれた扉を潜り抜けた私は、激務部署へ配属されボロボロになる。あれは未来への扉ではなく、実は地獄の門だったのではと震え上がった。杖を持っているだけでは魔法使いになれない。文学部卒が工学部や情報学部卒の専門家に、いきなり勝つことなんて出来ない。
(ポジションをとれ!手を動かせ!批評家になるな!作り続けろ!)
落合さんが著書の中でも語っていたアツい言葉である。私は先輩達の残した足跡を踏みながら、手探りのままコードを書き続けた。退職者が続出した。一度過労と貧血により駅で倒れた。女性の体の脆さが悔しかった。 それでも私は魔術師達の世界が見たかった。女の子なんだから適当でいいんだよ、と言われるのも嫌だった。
彼らのような人々にとっては冗談みたいな小ささでも、ひとりで立てる棲家(ポジション)が欲しかった。
その頃、落合さんの姿はYouTube配信の中で観測できた。しかし画面越しでもわかるほど様子がおかしかった。あまりにも寝ずに仕事に没頭するからか、常に酩酊状態のようで虚な目をしていた。落合さんはどんどんボロボロになっていった。部屋の中から、僅かに死の香りがするようだった。ほんの少し前、嬉しそうに詰まったスケジュールを眺めていた落合さんを思い出す。コメント欄は「寝てください」と心配する声が並んでいた。でもきっとこの人はそうしないだろうと思った。
私自身もコードの海に溺れて朦朧とする中、ただ、落合さんが亡くなったら悲しいと思った。
「nullって空なんですよ」
落合さんは、最近仏教や民藝に興味を持たれているらしい。計算機自然は根底にありつつも、同じことをやり続けるのではなく、色々新しい試みをしているようだ。
直近のデジタルアートは難解すぎてなにを意図したいのか正直全くわからなかった(目が痛くて詰む)が、哲学×デジタルの世界観はまた、非常に共感する部分である。
落合陽一は、変態する。
そして私も、変態していく。
(ポジションを取れ!)
あの一瞬の邂逅を、多忙で分刻みのスケジュールをこなし続ける彼は全く覚えていないだろう。 彼の羽は次に何色へ変化するのか、次は何を見せてくれるのか。視座が高すぎて、常人には理解できないなにかを作り、思想に共感できないこともあるだろう。私は落合さんの全てを肯定するわけではないから、わからないものはわからないし、嫌なものは嫌だ。私には私の美学がある。それでもまた次に浮かんだ羽の色が、再び私の心と共鳴するかもしれない。
「鮨ヌル鰻ドラゴン」
モニターから落合さんの声を聞く。 当時と変わらない早口である。だが、顔色は少しだけ良くなったようで安心する。髪型が更に自由度高めで斜め上を走っているが、ヨウジヤマモトスタイルは健在だ。
私は今も、はるか先を走る魔術師達の背中を追っている。
モルフォ蝶が、照明を落としたモニターの横で、静かに息を潜めて呼吸している。
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