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手は変わるものではなく、両親から与えられて加わっていくもの

あなたの両手が物語ることを教えてくださいと問われたら、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。

今回取材したのは、株式会社銭湯ぐらしの あおきゆりさん。
ゆりさんには、銭湯のあるくらしを体現する銭湯つきシェアスペース「小杉湯となり」で出会い、現在は小杉湯となりの運営母体である銭湯ぐらしの仲間としてお世話になっています。

ゆりさんは、今年の秋からイギリスに家族4人で移住。今回は、時差9時間の中でのオンラインインタビューとなりました。

今回のインタビュー記事のハイライトは、「ピアノの先生であるお母さんに似ている手」と「手は(本質的に)変わらないこと」。
ゆりさんからお母さんのエピソードが繰り出されるたびに、「わたしから見たゆりさんの姿そのものです…」と何度も口にしました。

ゆりさんの両手が物語ることとは?

手は、母ゆずりの好きなパーツ

ーーさっそくですが、ゆりさんの両手が物語ることは思い浮かんでいますか?

ゆりさん:
手は、私の好きなパーツです。
周囲から「指が長いね」「モデルさんみたいな手だね」と手を褒められたとき、私は母が褒められていると感じます。

というのも、私の手は母にそっくりなんですよ。

たとえば、歌声がきれいだと褒められると、自分が努力して得たものを褒められた気分になります。
でも、手で努力したことはないうえに母とそっくりなので、自分の手を褒められているはずだけど、母が褒められている感覚になるんですよね。

イギリスのカフェにて撮影

だから、手を褒められたら「母がピアノの先生で、そっくりな手をしているんです」とつい話していました。
今まで無意識に母の話をしていましたが、今回のインタビューテーマから、「私は、私ではなく母が褒められている気持ちになっていたから母の話をしていたんだ」と気づきましたね。

ピアノの発表会の様子

ーーゆりさんから見て、お母さんはどんな方なのでしょうか?

ゆりさん:
母は、私のキャラクターを30倍可愛らしくした感じです(笑)

今年の秋にイギリスに移住したあと、すぐに父と母が会いに来てくれたんです。私はあらゆることに余裕がない中、母は散歩しながら「わ〜、絵本の中にいるみたいだねぇ」と言っていて、必死な私とは違って天真爛漫な姿が面白かったですね。素敵なところを見つけていく姿が、すごく母らしいなと思います。

母は、私を萎縮させるような人ではなく、いつでも寄り添ってくれる人です。これまでずっと応援してもらって今の私がいます。
「世界中の人が違うと言っても、私は味方だよ」と小さいころから言ってくれる母でしたね。

ーー「寄り添う」「応援」「味方」は、私がゆりさんに日頃から感じることです。お母さんの影響を受けていると感じますか?

ゆりさん:
どうでしょうね、似ていると自覚したことはあまりないです。でも、たしかに影響は受けている気がします。

イギリスに来てから、家族のことを考える時間が増えたんですよ。
母は、いつでも寄り添ってくれる尊敬できる人であり、同時に気軽にやりとりできる友達みたいな人です。この距離感でいられることを改めて幸せだなと感じていますし、
遠く離れていても、変わらず私をケアしてくれていることに感謝したいなと思いますね。

お母さんの手を形づくったピアノ

ーー手を褒められたときのお話ですが、「お母さんの手に似ている」に加えて、「お母さんがピアノの先生」だとお話しされていたんですね。

ゆりさん:
はい。母がピアノを弾き続けてきれいな大きな手を持っていることで、私がそれに似た手を引き継ぐことができたと思っているからです。

ドからドのオクターブまで親指と小指が届くかなど、手の大きさはピアノを演奏するために重要な身体性です。私は、4歳から8歳までピアノを習ったあと、8歳から18歳まではオーケストラ部に所属してバイオリンを弾いていました。バイオリンにおいても、弦を抑えるために大きな手がプラスに働きます。ピアノやバイオリンを通じて、手のありがたみを実感していましたね。

そして、18歳でバイオリンを辞めて、アカペラをはじめてから今年で14年目に突入しました。
物理的に楽器は手放したけれど、ピアノをきっかけに音楽に触れて、オーケストラのバイオリンで誰かと一緒に演奏する良さを知ったんです。今は、自分の声が楽器になった感覚で・・・すべてがつながっている気がしています。

右:ゆりさん、左のピアノ奏者:ゆりさんのお母さん

小さいころから現在まで、ステージに足を運んでくれる両親や友人がまわりにいて、音楽を褒めてもらえる環境にいることは音楽を続ける理由になっていますね。今は、改めてピアノを再開したいなと思っています。

ーーお母さんゆずりの手の恩恵を受けていたからこそ、「手は自分が作ったものではなく、もらったもの」という考えにつながるんですね。

ゆりさん:
まさにそうですね。容姿は美容院に行ったりメイクをしたり、手を加える方法があると思うのですが、手はあまり努力できないポイントであり、変わらないものだと思っているんです。

手は変わるものではなく、加わっていくもの

ーー手は変わらないもの。過去のインタビューにはなかった考え方のように思います。

ゆりさん:
たしかに、しわや厚みなど、見た目は変わっていきますよね。でも、骨格やつくりなどは本質的に変わらないと思っています。
しわや厚みは、変わるのではなく加わっていくイメージです。元々持っていたものにツヤが加わったり、錆びたりするのだと思います。

だから、私は変わらないものを褒めてもらう機会が多かったので、手がお気に入りだし、自分の体が両親から与えられたものだと強く感じますね。

ーーゆりさんにとって、手は最初から変わらないからこそご両親から受け取るものであり、減ることはなく加わっていくものなのですね。新たな発見がたくさんありました。ありがとうございました!

読んでくださったみなさまへ

両手が物語ることを考えると、筆者は「父の手に似ている」ことがまっさきに浮かびます。でも、ゆりさんのように、両親から”受け取ったもの”だという感覚はなかったし、父の手がなにによって構成されたかは考えたことがありませんでした。

ゆりさんの両手を通じて、父の手に似ている先にある感情や考えを見つめてみたいと思っています。

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