美術に疎いコピーライターが、おそるおそる「アートの対話型鑑賞」に参加してみた話。(前編)
コロナ禍の影響で仕事が軒並みストップしてしまい、溢れんばかりのヒマを持て余していた6月某日。企業の組織開発やワークショップデザインなどを手がける“ちょなん”さん(@masaya_chonan)から、一通の招待状をいただきました。イベント名は「現代アートをオンラインで観る!アートの対話型鑑賞」。これまでまともに美術鑑賞をしてこなかった僕は、ヒマなくせに参加することを大いにためらいましたが、思い切って参加してみたところ、これがビジネスにも役立ちそうな面白い体験になりました。そこで、イチ参加者としての僕の視点を交えながら、皆さんを「アートの対話型鑑賞」の世界へとご案内してみようと思います。
「アートの対話型鑑賞」とは?
美術方面に疎い僕は、そもそも「アートの対話型鑑賞」って一体なに?というギモンからスタートするわけですが、すごく簡単に言ってしまうと、文字通り「対話をしながらアートを鑑賞すること」で、ひとつの作品を囲んで対話を重ねながら、その作品に対する理解や解釈を掘り下げていく鑑賞方法だそうです。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で生まれた鑑賞教育法なんだとか。
僕の場合、まれに美術館に行っても、作品の前で芸術を味わっているような顔をしながら、心の中では「よく分かんない!」と叫んでいるような人間なので、見ず知らずの人と美術の話をするのはハードル高そうだなぁ、と感じたのが正直なところです。その一方で、いつもは一人でよく理解できないままに終わってしまう絵画鑑賞も、みんなで話しながら見れば、何か違った発見をするチャンスになるかも、という期待感もありました。
いろいろと不安はあったものの、最終的にはイベントの案内文にあった、
専門的な知識や経験は必要ありません。アートを観てみたい方や興味がある方から、なんだろうという体験をしてみたい感じの方でも誰もが参加できる場になっております。ぜひ、ゆるりとご参加ください。
という、やさしさ溢れる一文を頼りに、Peatixのチケット購入ボタンを押したのでした。
ちなみに、今回の主催は「瀬戸内アートコレクティブ」(瀬戸コレ)という団体さんで、瀬戸コレさんは、瀬戸内圏域で活動する若手アーティスト・ギャラリー・ミュージアムと連帯し、現代アートを生活の中へ浸透させる取り組みを行っているそうです。観賞会は今回で3回目。観賞はZoomを使ってのオンライン鑑賞となっております。
緊張のご対面。からの、アイスブレイク。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本番当日。(皆さんも心の準備はよろしいでしょうか?)僕はパソコンの前に座り、背景にセコく本棚が映り込むことを確認してからZoomの会場に入室しました。今回の参加者は、瀬戸コレの“かたくら”さん、ファシリテーターの“ちょなん”さんの他、11名の鑑賞者で、計13名。東京、大阪、神奈川、山形、新潟、岡山、香川、そしてはるばるドイツから!鑑賞者同士は、おそらく皆さん初対面だったと思われます。
当然ながら、皆さん最初は表情カタめ。進行役のちょなんさんがZoomのチャット機能を使って簡単な自己紹介ワークをやりながら、この場の緊張感をほぐしていきます。さらに、作品を鑑賞する前に、次のような「対話のグラウンドルール」が示されました。
【対話型鑑賞を楽しむためのグラウンドルール】
・何を言ってもOK
・人の言うことに対して否定的な態度を取らない
・無理に発言しなくてもOK
・聞きたいことがあったらいつ聞いてもOK
・チャットに書いてもらってもOK
やさしく、ゆるやかに対話を楽しむ。そんなことを確認し合ったら、いよいよ鑑賞作品の発表です。
(ちなみに、当日のこのあたりからの音声がポッドキャストで公開されています。音声が聴ける方は、この記事と併せてぜひ当日の様子もお楽しみください。音声はコチラ→ [spotify]「現代アートをオンラインで観る!アートの対話型鑑賞 #3」)
いざ、対話型鑑賞スタート。
今回みんなで鑑賞するのは、こちらの作品。
どん!
長崎出身のアーティスト・三浦秀幸さんの作品です。
先入観を持たないように、最初は作家や作品についての説明はありませんでした。
皆さんも、まずはじっくりと2分ほど作品を鑑賞してみてください。
じっと画面を見つめる参加者たち。静かに無音の時間が流れます。
なんとなく探り探りの20分。
さて、じっくりと作品を見て2分が経過。
あなたはこの絵を見て、どんなことを感じましたか?
何を思い、どんなことを考えたでしょうか?
参加者は、この2分で感じたことを、まずはチャット欄に書き込みました。あなたもぜひ、思ったことを紙などに書いてみてください。(このチャット欄に書き込むのというのは、全員の第一印象を並べてつねに俯瞰できるのでなかなか良いと思った)
参加者が書き込んだ内容は、ざっとこんな感じ。
・ナスが眉毛に見えました
・上の方にある黒い部分が眉毛に見えて、お正月の福笑いをしていると思いました
・表現方法をわざとアンバランスにしているのかな?
ちょっと困惑させられる感じ、でも軽い空気
・ぱっと見、福笑いを想像しました
・Tシャツの裾からほつれた糸を見つめる日常
・なぜ糸を持っている手を上から見つめているのか
・上にあるナスが眉毛に見えて、福笑いに見えた
・子供が糸で黒いなめくじに悪戯しようとしているところに見えた。
無邪気なゆえの残酷さを感じた。
・ナス、ピーマン、もんぺっぽいズボンを履いた人、農作業中かな?
ミミズみたいなのが眉毛みたい。右上、左下の黒い点はなんだろう。
・福笑い的な感じに見える。ナスが眉毛で。
手から涙が落ちていたり、まわりにも泣いている感じの点が見えるので、
本人はバラバラになりそうな自分を手で持った紐で必死に支えているのかなと
感じました。
・足元にはピーマン?
・リンゴに見えた
「ナスが眉毛に見える」説、もしくは「全体が福笑いに見える」論が多めの印象ですね。僕は、真ん中の糸とそれを持つ手、そしてそれを見下ろす視線が気になり、とっさに「Tシャツの裾からほつれた糸を見つめる日常」と書き込みました。この主人公の日々を想像しながら、この絵に描かれている作家の想いを読み解きたい。僕の個人的な興味はその点にありました。
「それでは、ここからは皆さんの声を聞けたらと思います。チャットに書いた内容でもいいですし、他の人の視点で気づいたことでもいいので、なんでも自由に話をしてみてください」。
ちょなんさんが、心地よい周波数の声でやさしく発言を促し、参加者がポツリ、ポツリと言葉を繋ぐように話し始めます。
「福笑いをモチーフに、ナスやピーマンなどの食べ物で表現しているのが面白い」
「ナスは犬の耳で、全体が涙を流している犬の顔にも見える」
「ピエロが泣いているようにも見える(マクドナルドのキャラクターみたい)」
「ナスの下の目のようなものは何だろう?ミミズ?ソーセージ?何かの種?横についている点々がミミズの這った跡にも見える」
この記事ですべての発言を紹介することはできませんが、序盤はもっぱら「絵の見た目」に関する話が多かったように思います。描かれているパーツや全体の構成から想像を膨らませて、どちらかというとファンタジックな方向へと向かっていくような。一方で、「抽象的なモチーフと具象的なモチーフが入り混じっているアンバランスさ、日常的なものを抽象的なものが侵食しているような構図が面白い」といった作品の構造に関する意見も出ていました。
このあたりで鑑賞開始から約20分が経過。ゆるやかに自由な発想で思ったことを話しつつ、まだ皆さん対話型鑑賞のトビラの前で周囲を見渡しながら立ち止まっている、そんな探り探りの雰囲気だったような気がします。
ちなみにエラそうに書いていますが、僕はここまで発言ゼロ。開始から一声も発しておりません(汗)。皆さんの話を「なるほど、なるほど」と聞きながら、もうスヌーピーの絵にしか見えなくなっている自分も確かにいました。
しかし私は、あの「糸」の話がしたい。糸を見つめる男の話がしたい。その糸は何なのか。なぜ糸を見つめているのか。なぜ腹は出しているのに靴下を履いているのか。なぜ足元に嚙ったようなピーマンが転がっているのか。ファンタジックとは真逆の四畳半フォーク的な世界を想像してしまったオイラは、静かに発言の機会を窺っていたのだった。
(後編へ続く→後編はコチラ)
▶︎ 後編の目次予告
・広がる解釈、加速する妄想。
・明かされた秘密、一気に深まる理解。
・そして作家さん登場。
・「アートの対話型鑑賞」に感じた可能性