モトコーミュージアム。あるいは文化発生装置としての高架下=ミミズ説
加古川の仲間でアーティストの岡本亮が、神戸の元町高架下(モトコー)を舞台になんだか面白そうなことをやり始めた。その名を「モトコーミュージアム」という。
老朽化が進んだ元町高架通商店街(モトコー商店街)の建物を、現存する”歴史資料”と捉えたミュージアム/ギャラリーを生み出すプロジェクトで、今後は地縁のあるアーティストによる作品制作や展示・インスタレーションを行うのだそうだ。
そのオープニングイベントがあるというので、久しぶりにモトコーへ行ってみることにした。
三ノ宮からイベントが開催される「モトコータウン6」まで歩く道すがら、モトコーミュージアムのInstagram公式アカウントを覗く。と、ミュージアムディレクター を務める岡本がそのコンセプトを語っていた。
「アートには、時間や空間を飛び越える力が内包されています」と強調する岡本。
なるほど。だとすればアーティストっていうのはミミズみたいなものなのかもしれない。
ミミズは地中で土や有機物を食べて体内で分解し、栄養に富んだ肥沃なフンを出していく。アーティストにしても、特定の場に紐づいた歴史や土地性といった数多の情報を自らの体内で消化し、何かしらの表現につなげているわけで、見方次第では「ミミズと同じ」といえるはず――
なんてことを考えているうちに、会場に到着。
久しぶりに会った友人たちとの再会を懐かしんでいると、会場の中からアコギの音が聞こえてきた。18時から始まるという西村竜哉のライブだ。
入り口のゲートをくぐり、高架下の中に足を踏み入れる。音が空気が、振動となって身体に刺さる。その感覚に僕の記憶は一瞬、世紀末へ引き戻される。
あの頃、同級生の親がやっている鉄板焼屋で働きバイト代を貯めては、三ノ宮高架下にあるライブハウス「スタークラブ」へ通っていた。まったく忘れていたが、僕にとって「ライブ」と「高架下」は、分かちがたく結びついた音楽の原体験における不可欠要素だったのだ。
思えばこのモトコー自体、巨大な文化発生装置としてのミミズだったのかもしれない。
有象無象が行き交い、あっち側からこっち側へと抜けていったあの頃のモトコー。体内には戦後の闇市にルーツを持った商店街が根を張り、雑多な人々の営みが繰り広げられていた。
だから当時、モトコーを通り抜けた後の自分は、もう通り抜ける前の自分じゃなかった。さまざまな情報をその身に浴び、時を経て発酵した肥沃なウンコになった自分だったのだ。
西村が歌声を涸らし、叫ぶ。
ミュージアム設立を機に、久しく人の姿がなかったモトコーにも新たな人の往来が生まれるだろう。この日、この場を占拠し、体験を共有した我ら”共犯者”たちは、これからもモトコーを通い続けるに違いない。
この夜、この地で長らく眠っていたどデカいミミズが、ついに胎動を始めたのだ。
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