脳挫傷。その後 #1
何があった?
2023年4月17日の夜、僕は自宅の廊下で転んだ。
転んだときのことはあまり覚えていない。唯一イメージとして残っているのは、何かが衝突して「ドカーン」となっているアニメーションだ。妙にカラーリングがビビッドで、なぜかマンガ調の表現だった。ゆらゆら帝国に『ゆらゆら帝国 III』というアルバムがある。ちょうどあのジャケットの感じ。
転んだのは寝ぼけていたからで間違いないと思う。テレビを見ながらソファで寝てしまい、ベッドで移動する前にトイレへ行こうとした際の出来ごとだった。なかなか大業に転んだようで、音で家族もそれに気づいたが、そのまま寝てしまっている僕を見て、ベッドへ移動させて寝かせたのだという。
そこから病院までの記憶もあいまいだ。断片的に残っているのは、翌朝起き出した僕の様子のおかしさに気づいた家族の表情、到着した救急隊員のヘルメット、乗せられた救急車の天井。
すぐさま近隣の病院へ運ばれ、CTとMRIで検査が行われた。下された診断は「脳挫傷」。きれいに頭蓋骨の後部が割れていて、脳の前頭葉部分にダメージが見られるのだとか。とはいえ、リスクのある開頭手術をするほどではないとの判断で手術は見送られ、即時入院と絶対安静が言いつけられた(保存的治療というやつ。あまり覚えていない)。
幸いなことに比較的予後は順調で、4月22日には多少の無理を言って退院。その後、順調に体力を取り戻し、GW前には職場へ一応の復帰を果たすことができた。
5月17日には1ヵ月検診を無事クリアし、通院も終了。身体的、社会的にはほぼ元通りとなり、今に至る。
それだけ見れば単なるラッキーな不幸中の幸いエピソードに過ぎない。「心配したけど、大きな後遺症もなく良かった!」とたくさんの人から言ってもらえた。うん、人生の初骨折がまさか頭蓋骨だとは予想していなかったけど、今こうして以前と同じように生活できていることが、僕自身とてもうれしい。
ただ一方で、現状に至るまではさまざまなレベルの変化があった。怪我をした部位が脳ということもあり、それらがどういう変化なのかを言葉で説明するのは難しい。難しいのだが、だからこそまだ記憶があるうちに記録しておくことに意味はあるんだろうな、とも思う。
なのでここは自らを鼓舞し、僕が脳挫傷を経て経験した種々の変化について書き留めておこう。もしも僕と同じような状況におちいった人がいるのなら、同様の変化を経験した仲間の存在を認めることが、ひいては彼/彼女らの重荷軽減につながるかもしれない。
何が変わった?
さて、ここからが本題だ。「さまざまなレベルの変化」とはどんなものなのか?
それを知るには、事故後の回復期にあった僕がどんなことを考えていたのかを知ればいい。今ならある程度客観的に見つめ直し、分析することができるだろう。幸いなことに、退院後はなんだか頭がぼんやりしていたため(そりゃそうだ)、診察時に症状などを医者に伝えるべくちょくちょく所感を記していたメモが残していた。いくつかを下に引用する。
どうだろう。脳の機能を取り戻していく過程で、当初はただ自分の身に起こった具体的・身体的な変化にしか気づいていなかったのが、時間の経過と共に少しずつ抽象的な思考の力が戻ってきていることがわかるのではないだろうか。また、興味の対象が身体から社会へと広がっていることも興味深い。
とはいえ、メモはメモに過ぎない。ここからは上記の記述をもとに、僕の脳内でなにかがおこっていたのかを詳しく分析していこう。
(#2↓に続く)
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