【エッセイ】ランナーズ・ハイ
初めまして。
ユウ アイトと申します。
私、物書きを目指しておりまして、2022年から詩を中心にTwitterや雑誌に作品を投稿しております。活動はもうすぐ1年。もっと活動範囲を増やしたいと思い、ずっとやりたかったエッセイやショートショート、評論等をこのnoteで雑多に発信していこうと思います。月2、3くらいのゆる〜いペースで更新していく予定ですので、皆様宜しくお願い致します。
さて、ご挨拶が終わったところで初めての投稿はエッセイのようなものを書こうと思います。世界がコロナ渦になり1人の時間が増えて、Youtubeとか映画配信や漫画アプリ、楽しみは意外と増えましたよね。家族との絆も強くなったと思います。私は特に地元の友人と連絡を取ってみたり、今までの人生を振り返って考える時間が増えたかなと思います。
私が通っていた中学校は一級河川沿いにある学校で、とても立派な堤防は部活動のトレーニングや当時まだ学校行事として当たり前にあったマラソン大会のコースに用いられていました。通学ルートにもなっていて、今でも友達の後ろ姿や堤防から見る河川の四季をありありと思い出すことができます。
その堤防には毎日、朝と夕にジャージ姿でランニングしている男性の姿がありました。その人は国語の教師で野球部の顧問をしている人で、実際に担任になったりしたことはなかったのですが、体が大きく底抜けに明るい人で結構人気だったと思います。頭頂部が少し薄いその大柄な教師が毎日顔を赤らめて必死にランニングしている姿はとても印象的でした。
その教師の日課は途切れたことはなかったと思います。雨風の強い日も雪の多い日も必ず朝夕見かけました。校舎内で見るその人とは印象が全く違い、どうしてそこまでする必要があるんだろう?と子供ながらに思いました。
何が彼をそうまでして走らせるのか?
ある時、友達からその人は心臓がとても弱く常に心拍数を高めておかなければ心臓が止まって死んでしまうんだ、と聞かされました。本当かどうかはわからないです、その時は笑い話にしていたと思います。
今になってその教師のことを時々思い出すことがあります。高校に入っても通学の際、堤防を見かけるとその教師は走っていました。赤ら顔で必死で走っていました。大学に入ると故郷を離れ、大人になって上京し、気がつくとその教師のことをすっかり忘れていました。コロナ渦になってしばらく帰省できていません、次の帰省した時には堤防を注意して見てみようと思います。
ところで、皆さんはランナーズ・ハイになったことはありますか?ランナーズ・ハイとはランニング中に陥る陶酔状態のことなのですが。私は一度だけ経験したことがあります。マラソン大会がある月は体育の時間で実際のコースを走ります。その堤防を対岸までぐるっと一周3kmほど、それを2周。足の遅い私は一周走り終える頃には周回遅れが当たり前でした。
ある時私はランナーズ・ハイの状態になりました。どれだけ走っても息があがらない、ゾーンに入るというか、とにかく体は軽くなり意識がどこまでも駆けていっても私自身がついていける、そんな自信に包まれました。周回遅れどころか上位組にも食い込むタイムを叩き出しました。それよりも私が一番驚いたことは、周りに見える景色がそれまでのものとは違い格段に美しく見えたことです。透明度が違う、溢れる多幸感。
河川の流れは光の筋がいくつも綿密に縫い合わさって出来ていると知りました。雲の白さの感触を、小さな草花の緑の冷涼さを、どこまでも遠くを見通せる感覚、そんな背丈を手に入れたような。
ひょっとしたらその教師もランナーズ・ハイがもたらす多幸感の虜、美しい景色の虜になっていたのかもしれません。分からなくはないですし、そう思う方が前向きですよね。
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